中国国民党(国民党)
中国国民党(以下、国民党)は、20世紀前半に中国大陸で生まれた政党。第二次世界大戦後の台湾において一党支配体制を敷き、1990年代の台湾の民主化以降は政党政治の一翼を担う。中国の革命家である孫文(1866-1925)が中華民国の建国理念として掲げた「三民主義」思想を重んじ、党の基本方針として台湾政府は「中華民国」という国号を名乗り続けるべきだと主張している。その見地から、台湾が「台湾」という国家として独立することに反対するとともに、中華人民共和国の中国共産党政権主導による中国大陸と台湾の統一にも反対してきた。
19世紀末、孫文は清朝打倒を訴える革命運動のリーダーとなった。1911年に辛亥革命が起こり、翌12年に中華民国が建国されるが、その内部では混乱が絶えなかった。孫文は自身の理想とする中華民国の政治を実現するため、それまでの秘密結社による活動を改め、1919年に開かれた大衆政党として中国国民党を成立させる。
1925年の孫文の没後、蔣介石を指導者として国民党は「軍閥」と呼ばれた地方勢力を打倒していき、1928年には南京を首都とする「中華民国国民政府」によって国家は統一されたと宣言する。1930年代に日本との間で全面戦争に突入すると、国民政府は重慶に移転し抗戦を続けた。日本の敗戦後、国民党は共産党との内戦に敗れて中国大陸を追われ、台湾に撤退して中華民国政府を存続させた。
1950年代から80年代にかけて、国民党は蔣介石・蔣経国(1910-1988)父子を指導者として台湾で一党支配を続けた。蔣経国の没後、台湾出身の李登輝(1923-2020)が国民党内で権力を掌握、中華民国憲法が改正され、民主化が進んだ。1996年の最初の総統選挙では国民党の李登輝が当選したが、2000年には民主進歩党(民進党)の陳水扁が当選し、国民党は野党に転ずる。2008年に馬英九が総統に当選して国民党が政権を奪還したが、2016年以降は蔡英文総統、頼清徳総統と民進党政権が続いている。この間、対岸の共産党政権が民進党政権の台湾独立志向を嫌っていることを受け、国民党は中国大陸との関係を安定化させることを有権者に訴えるようになり、内戦時の敵であった共産党に対する融和姿勢を強めている。
もっと知りたい方のために
・斎藤道彦「孫文と蔣介石の三民主義建国論」中央大学人文科学研究所編『民国後期中国国民党政権の研究』中央大学出版部、2005年