赤松美和子撮影

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四四南村

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四四南村

戦後台湾に移り住んだ人々の歴史と生活の一端を知るスポット

国共内戦の結果、多くの人が中国大陸から台湾に移り住むことになりました。彼らが住んだ村を眷村といいます。四四南村もそのひとつで、日本陸軍の倉庫を改修して住んでいました。場所は有名な観光スポット「台北101」のすぐ近くです。1999年に居住地としての役割を終えました。現在、四四南村には、眷村文化が展示されているスペースや公民館のような住民センターなどが設置され、眷村文化を知る格好の場所となっています。また、その一角にカフェやグッズ販売スペースもでき、様々なイベントも行われる空間になっています。

学びのポイント

多様な文化が見られる眷村

戦後、中国大陸から台湾に来た人々は、台湾以外の出身者ということで、一般に「外省人」と呼ばれます。その出身地は中国大陸全土に広がっており、話す言葉も文化も異なるもので、互いに理解できないこともしばしばありました。また、外省人の男性と結婚した台湾出身者(本省人と呼ばれます)の女性も少なくなく、眷村には北京、広東、雲南、上海、四川、山東などの中国大陸の食文化に加え、台湾の食文化も入り込みました。なお、外省人の中には、外という意味から、この呼称を好まない人も多くいます。

上水流久彦撮影

台湾文化としての眷村

1990年代になると、台湾の民主化が進み、台湾人意識が強くなります。戦後、国民党が実権を握る中華民国政府は、いつか共産党が統治する中華人民共和国(いわゆる中国)を倒して中国全土を統治することを考えていたため、台湾の人に台湾のことは教えずに中国語や中国の歴史、地理を教育していました。台湾人意識の強まりのなかで、眷村は台湾の文化ではないという認識も生まれます。しかし、中国大陸の文化と台湾の文化が混在する眷村文化は、中国大陸にはない台湾独特の文化だと考える人も多くなりました。

臺北市政府觀光傳播局提供

さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】眷村は、台湾各地にあります。四四南村以外にどこにあり、現在はどのように活用されているでしょうか。
  • 【現地体験学習】四四南村では、MIT(メイド・イン・タイワン)の雑貨、食品などが数多く売られています。それらがどのような特徴を持っているか、観察してみましょう。
参考資料
国民党については、赤松美和子・若松大祐編『台湾を知るための60章』(明石書店、2016年)の第4章、『もっと知りたい台湾 第二版』の「政治」に詳しい説明があります。本省人と外省人の関係については、若林正丈『台湾』(ちくま新書 2001年)の第7章「台湾ナショナリズムとエスノポリティクス」や『台湾を知るための60章』のコラム6「外省人」や「『もっと知りたい台湾 第二版』の「エスニシティ―と社会階層」が参考になります。近年の外省人のアイデンティティについては、ステファン・コルキュフ著『台湾外省人の現在』(風響社、2008年)に詳しく紹介されています。眷村を描いた日本語で読める小説に、朱天心「眷村の兄弟たちよ」(孩子王クラス編『二つの故郷のはざまで』、藍天文芸出版社、1999年)、張大春「四喜、国ヲ憂ウ」(孩子王クラス編『四喜憂国』、藍天文芸出版社、1996年)、朱天文著、三木直大訳「エデンはもはや」(山口守編 『台北ストーリー─新しい台湾の文学』、国書刊行会、1999年)があります。文学研究からの分析について赤松美和子「「朱天心「想我眷村的兄弟們」にみる限定的な「私たち」(『お茶の水女子大学中国文学会報』(27),83-96,2008年)を参考にしてみましょう。


上水流久彦

ウェブサイト
交通部観光局https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003090&id=A12-00125 台北旅遊網(台北市政府観光伝播局)https://www.travel.taipei/ja/attraction/details/851
所在地
台北市信義区松勤街50号
特記事項
見学無料