再見捌捌陸-臺灣眷村文化園區 再見捌捌陸(さようなら886)台湾眷村文化園区(明徳新村)

故郷を喪失した将軍たちが暮らした村

倉本知明提供

台湾各地には眷村と呼ばれる居住地があります。眷村とは、国共内戦の結果、中国大陸から台湾に移ってきた人々のために建設された住宅が集まる地区を指し、最盛期には台湾全島に900近い眷村が建設されました。北は黒竜江省から南は広東省まで、大陸各地からやって来た人々(外省人)によって独自の文化が作り上げられてきましたが、現在ではそのほとんどが撤去されています。再見捌捌陸(さようなら886)台湾眷村文化園区は高雄市左営区にある明徳新村と呼ばれる眷村の一部を利用したもので、そこにはかつて中華民国の海軍士官たちが暮らしていました。当時の生活を窺い知る資料を展示した歴史資料館であり、来訪者は衣食住を含めた眷村生活の雰囲気の一端を味わえるようになっています。

学びのポイント

国共内戦とはどんな戦いだった?

国共内戦とは、中国国民党と中国共産党による内戦です。国共内戦は一般的に二つの時期に分けられます。第一次国共合作が破綻して生じた第一次国共内戦(1927~1937)と、日中戦争期の第二次国共合作を経て、日本軍撤退後に再燃した第二次国共内戦(1946~1949)です。当初は国民党が有利でしたが、次第に劣勢に転じ、1949年10月に毛沢東が北京で中華人民共和国の建国を宣言すると、同年12月には中華民国政府は台湾へ移転することを余儀なくされました。その後もアメリカ政府から支援を受けた中華民国政府は、台湾を拠点として大陸反攻作戦を試みてきましたが、結局彼らが再び故郷の地を踏むことは叶いませんでした。

倉本知明撮影

明徳新村はもともとどんな場所だった?

明徳新村がある高雄市左営区は、清朝時代から軍港の街として発展した長い歴史があり、日本統治時代にも数多くの軍事施設が建設されました。明徳新村があった場所には、1941年に旧大日本帝国海軍第11航空艦隊の将校宿舎が建設され、村内にはおよそ200名が収容できる防空壕が造られるなど、歴史的に価値のある場所となっています。後に首相となった中曽根康弘が、軍人として高雄に派遣された当時暮らした宿舎も残されています。戦後は同地区を接収した中華民国海軍によって眷村として使用されてきましたが、4名の参謀総長、7名の海軍総司令が暮らすなど、多くの高級将校たちが集まっていた明徳新村は「将軍村」の異名で呼ばれてきました。

倉本知明撮影

いまはどんな人たちが住んでいるのか?

損傷の激しい眷村を保存、維持する目的から、高雄市政府は入居希望者に眷村の家屋を賃貸し、そこで民宿経営や芸術・演劇活動などを行ってもらうことで、劣化が進む眷村の保存に務めてきました。かつて冷戦時代の遺物であった明徳新村は次々とリノベーション(改修)されていき、様々な専門分野の人たちが交わる新たな創造空間へ生まれ変わろうとしています。

倉本知明撮影

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】【事後学習】眷村を舞台にした台湾の映画や小説に接し、その歴史を調べてみましょう。
  2. 【現地体験学習】冷戦時代、眷村に居住していた外省人たちがどんな生活をしていたのか、その衣食住を体験してみましょう。

参考資料

眷村を舞台とした小説がいくつか翻訳されています。例えば、現代中国語講座「孩子王」クラスによる『裏外・中台之間=二つの家郷のはざまで』(藍天文藝出版社、1999年)に収録された朱天心の短編小説「眷村の兄弟たち」、白先勇の短編小説集『台北人』(国書刊行会、2008年)、呉明益の長編小説『自転車泥棒』(文藝春秋、2018年)などがあります。国共内戦とともに台湾へと逃れてきた外省人の歴史的背景については、台湾初の文化大臣でもある龍應台のノンフィクション作品『台湾海峡一九四九』(白水社、2012年)などにも詳しく書かれています。また、眷村を舞台とする有名な映画に楊徳昌(エドワード・ヤン)監督の『牯嶺街少年殺人事件』(1991年)があります。

(倉本知明)

ウェブサイト
交通部観光局https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003121&id=A12-00186 高雄旅遊網(高雄市政府観光局)ttps://khh.travel/zh-tw/attractions/detail/337
所在地
高雄市左営区明徳新村
特記事項
現在でも生活している人もいるので、私有地などには入らないように注意しましょう。