(台湾の)キリスト教(きりすときょう)
台湾では道教と仏教のイメージが強いが、キリスト教を信仰する人々も少なくない。カトリックとプロテスタントは、それぞれ「天主教」、「基督教」と呼ばれ、後者にはさらにさまざまな宗派がある。このほか、台湾には真耶穌教会や召会などの中国発祥の宗派もあり、これらは「独立教会」と呼ばれる。台湾の総人口に占めるキリスト教徒の割合は6%ほどであるが、医療や社会福祉の分野での活躍や、長老派など一部宗派の1970年代以来の民主化運動への積極的な関わりを通して、無視し得ない存在感を放っている。
キリスト教の台湾到来には、大きく三つの波があった。第1波は17世紀のオランダ時代であり、オランダの宣教師が南部の安平を拠点に先住民の一つシラヤ人にプロテスタントを布教した。この時に宣教師らは布教のためにシラヤ語をローマ字によって書き表す方法を考案し、この方法は後の時代まで現地の人々に利用された。同じ頃、スペインの宣教師が北部の基隆・淡水を拠点にカトリックを布教したが、1642年にオランダに駆逐された。しかし、オランダの布教も、明朝の復興を目指して台湾を占領した鄭成功によって1662年に中断された。
第2波は、19世紀の清末時代である。アヘン戦争の結果、1858年に清朝と英国などの間で結ばれた天津条約によって台湾が開港されると、フィリピンからのカトリック、英国とカナダからの長老派が台湾で布教を始めた。とりわけ長老派は医療や教育に力を入れ、台湾語をローマ字で表記する方法を考案して新聞を発行し、西洋由来の新しい知識を受容した新世代を育てた。このため、長老派の信徒の中には1895年に台湾が日本の植民地とされた後に、台湾総督府が設置した教育機関をいち早く受け容れた者も多く、日本への留学を通して林茂生(1887–1947)のような教会や社会のリーダーが輩出された。
台湾へのキリスト教到来の第3波は、中華民国の国民政府が台湾に遷移した1949年前後の時期である。国共内戦で中国国民党が台湾に撤退した結果、多くの人々が中国大陸から台湾へ移り住み、彼らは外省人と呼ばれるようになった。その中にもキリスト教を信仰する人々がおり、長老派以外のプロテスタント諸宗派を台湾に持ち込んだ。また、この時期、日本統治時代には禁じられていた先住民への布教が活発に行われるようになり、多くの人々がキリスト教を受け容れた。
このように歴史の異なる段階で台湾に到来したキリスト教は、礼拝のスタイルや社会に対する考え方も実にさまざまで、決して一枚岩ではない。市民運動に積極的に関わってきた宗派もあれば、政治とは距離を保とうとするものもある。性的マイノリティの権利保障に批判的な宗派もあれば、性的マイノリティとその支援者の集会を基盤として建てられた教会もある。キリスト教にも、多様な台湾社会を映し出す縮図としての面がある。
もっと知りたい方のために
・ウェブサイト 賴永祥長老史料庫(Elder John Lai’s Archives)http://www.laijohn.com/
・鄭児玉「台湾のキリスト教」呉利明・鄭児玉・閔庚培・土肥昭夫『アジア・キリスト教史〔1〕 中国・台湾・韓国・日本』教文館、1981年
・Cheng, Yang-En. “Taiwan.” Edinburgh Companions to Global Christianity: Christianity in East and Southeast Asia. (Eds.). Kenneth R. Ross, Francis D. Alvarez SJ, Todd M. Johnson. Edinburgh: Edinburgh University Press, 2020, 99–111.
・木村自「宗教-越境とグローバル化」『台湾を知るための72章【第2版】』明石書店、2016年、298–302頁
・高井ヘラー由紀「はじめての台湾キリスト教史」シリーズ(全12回)『福音と世界』第72巻4号〜第73巻3号、新教出版社、2017年4月〜2018年3月
・藤野陽平『台湾における民衆キリスト教の人類学 社会的文脈と癒しの実践』風響社、2013年
・三野和惠『文脈化するキリスト教の軌跡 イギリス人宣教師と日本植民地下の台湾基督長老教会』新教出版社、2017年
