安平古堡は1624年、オランダ東インド会社によって築かれたゼーランディア城(Fort Zeelandia、熱蘭遮城)の遺跡です。ゼーランディアという呼び名はオランダの地名に由来します。1662年、鄭成功がオランダ東インド会社を台湾から追い出した後、父の出身地にちなんで安平城と改名しました。1683年に鄭氏政権が清朝によって滅ぼされてからは荒れ果ててしまい、清代末期には城壁の一部が近くの億載金城という新型城塞の建材に利用されました。日本統治時代にはこの地に税関宿舎が置かれたこともあります。戦後、安平古堡と改名され、現在では国定古蹟となっています。
台南市政府観光旅遊網図庫系統 方義雄撮影
15世紀末からヨーロッパ諸国の海外進出が始まり、16世紀から17世紀にかけて、東アジアではスペイン、ポルトガル、イギリス、そしてオランダといった国々が勢力争いをしていました。オランダは1602年に東インド会社を設立し、インドネシアのバタヴィア(現在のジャカルタ)や日本の平戸、長崎に拠点をつくります。ところが、中間にあたる中国大陸で拠点をつくるのに失敗してしまい、そこで台湾へ来てゼーランディア城を築きました。ここを中継点として日本や中国大陸と貿易を行い、同時に台湾で植民地経営も始めます。東インド会社が連れてきた宣教師は、台湾の先住民族にキリスト教の布教もしました。
東アジアの海では昔から「倭寇」と呼ばれる人々が活動していました。16世紀後半には東南アジアへ行って交易をする日本人も現れ、17世紀初頭に江戸幕府は朱印船貿易を制度化します。そうした中で台湾へ来て先住民族や漢人と貿易を行う日本人も現れました。台湾から日本へ輸入された鹿皮は鎧に使われました。安平の発掘調査では日本の陶磁器も出土しています。日本人商人とオランダ東インド会社との間で貿易摩擦も発生し、1627年に朱印船船長の浜田弥兵衛がゼーランディア城のオランダ人長官を人質にしてオランダがかけた関税を撤廃させる事件も起こりました。しかし、江戸幕府がいわゆる「鎖国令」を出すと朱印船貿易は終わり、日本人商人は台湾へ来ることができなくなります。