清朝時代の台湾に西洋的な近代教育機関はありませんでした。西洋では神学は大学で学びます。宣教師は、伝道者を養成するこの教育機関を西洋式に「大学(College)」と名付け、高等レベルの神学教育を授けようとしました。その意味で台南神学院は台湾最初の大学といえましょう。しかし、教会附設の学校で初等教育を受けただけの学生たちには、高等教育は難しすぎました。そこで宣教師たちは、その後、神学教育を受ける準備段階と位置づけられる中等教育機関(現・長栄高等中学校)を設立しました。
西洋の大学を思わせる校舎と南国風のヤシ並木(高井ヘラー由紀提供)
19世紀当初のプロテスタント布教事業は教育、医療、伝道の三つがセットになっていました。台南神学院のキャンパスが新楼医院に隣接しているのは、もともと敷地が一緒だったためです。かつてはその敷地内に中学校も宣教師住宅もありました。現神学院の北側キャンパス中央にある住居跡は、創立者バークレイ博士がかつて住んでいた家でした。
バークレイ博士住居跡(高井ヘラー由紀提供)