黒羽夏彦撮影

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牛津學堂

牛津学堂

清末の開港場・淡水に長老教会宣教師ジョージ・マッケイが設立した学校

牛津学堂は新北市淡水区の真理大学淡水キャンパスの前門近くにあります。淡水を拠点として台湾北部および東部で宣教にあたったカナダ長老教会のジョージ・レスリー・マッケイ(George Leslie Mackay)が1882年に設立した理学堂大書院という学校の建物で、マッケイの出身地であるカナダ・オンタリオ州オックスフォードの人々から集まった寄付金で建てられました(「牛津」はOxfordの訳)。
マッケイ自身が設計にあたったこの建物は、西洋式と中華式の建築様式が融合したもので、外壁のレンガは福建の厦門から運ばれてきたものです。現在は真理大学の校史館として使われ、理学院大書院から今日までの学校の歴史やマッケイの事績などに関する展示がおこなわれています。

学びのポイント

ジョージ・レスリー・マッケイとは?

マッケイは1871年末に香港などを経て台湾南部に至り、翌年から淡水での活動を始めました。医療活動にも力を注ぎ、1879年にマッケイが開設した「滬尾偕医館」という病院の建物が淡水の馬偕街(マッケイ通り)に残っています。淡水駅の方向から歩いていくと、馬偕街の入口でマッケイの彫像に出会います。真理大学のとなりの淡江高級中学(高校)の中にはマッケイや家族の墓地があります。なお「マッケイ」は、「マカイ」と表記されることもあります。

冨田哲撮影

なぜ淡水がマッケイの活動の拠点に?

1858年の天津条約によって開港した清国各地の港の中には今日の淡水や台南などがあり、淡水には西洋人が居留するようになりました。対外通商および淡水河を利用した内陸部との水運で繫栄していた淡水が拠点として選ばれたのには、こうした地の利が大きく関係していたと思われます。またマッケイは、淡水の風光明媚も気に入っていたようです。なお台湾南部では、台南を拠点にイングランド長老教会(本サイトの台南神学院を参照)が宣教をおこないました。

牛津学堂のその後は?

初期にはキリスト教、医学、人文・自然科学の科目が教えられ、生徒は修業後、各地で宣教や医療、教育に従事しました。日本統治期の1914年には男子向けの中学校となっています。一方、1884年に設立された淡水女学堂も1915年に淡水女学院となり、淡水に台湾人の男女それぞれを対象とする教会の中等教育機関が並び立ちました。戦時色が強まると、生徒たちは、台湾総督府や右翼団体などによって神社への集団参拝を強要されたりもしています。第二次世界大戦後も、一時期をのぞき、両校は長老教会が運営する別の学校でしたが、1956年に合併して淡江高級中学となりました。1965年に牛津学堂の敷地に淡水工商管理専科学校が設立され、淡水工商管理学院を経て1999年に真理大学となりました。

冨田哲撮影

さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】「参考資料」に挙げられている記事等を読んで、マッケイらの台湾での活動について調べてみましょう。
  • 【現地体験学習】【事後学習】淡江高級中学内でマッケイ一族の墓地へ向かう途中、運動場のわきに台湾のラグビー発祥を記念する碑があるのに気づくと思います。なぜこの学校が台湾のラグビー発祥地とされているのでしょうか。
  • 【事前学習】【事後学習】【現地体験学習】真理大学、淡江高級中学やその周囲には、開港場で 、マッケイや長老教会の活動拠点だった淡水ならではの史跡がたくさんあります。本サイトで紹介されている紅毛城もその一つです。ぜひおとずれてみましょう。
参考資料
 「マカイ博士没後百年を記念して」『台湾光華雑誌 日本語版』2001年6月号が、マッケイの活動やその歴史的意義などを論じています。
長老教会をふくむ台湾のキリスト教については、赤松美和子・若松大祐編『台湾を知るための72章【第2版】』(明石書店、2022年)の第11章「台湾人アイデンティティと中国人アイデンティティ―台湾住民の帰属意識の歩み」、第54章「宗教―越境とグローバル化」を参照してください。
人気歌手周杰倫(ジェイ・チョウ)監督、主演の2007年の映画「不能說的秘密」(言えない秘密)では、淡江高級中学と真理大学がロケで使われました。周は淡江高級中学音楽科の卒業生で、映画には彼の在学中のエピソードももりこまれています。

(冨田哲)

ウェブサイト
公式 https://ox.au.edu.tw/

(中国語・英語)

所在地
新北市淡水区真理街32号

特記事項
淡江高級中学への入構の際には守衛所で申請をしてください。真理大学校史館の参観はネット上での予約が必要です。
なおコロナ対策のため、2022年12月現在、淡江高級中学と真理大学(校史館をふくむ)は部外者の立ち入りを停止しています。