台湾駐留米軍

五十嵐隆幸

第二次世界大戦後の中国大陸では、中国国民党(以下、国民党)と中国共産党(以下、共産党)の内戦が再燃し、アメリカが調停に乗り出したが失敗に終わった。1949年7月にアメリカは『中国白書』で蔣介石政権の腐敗を批難、同年10月の中華人民共和国成立と中華民国政府の台湾撤退後も、台湾防衛への関与には慎重だった。しかし、翌50年に朝鮮戦争が勃発すると方針を転換、当時のトルーマン大統領は第七艦隊を台湾海峡に派遣した。翌51年にはアメリカの軍事援助顧問団(MAAG)が派遣され、中華民国国軍の再建と訓練支援が始まった。

1954年の台湾海峡危機を受けて米華相互防衛条約が締結されると、台湾と澎湖諸島の防衛がアメリカに義務付けられた。翌55年には、米国台湾防衛司令部(USTDC)が設置され米海・空軍関連の施設が置かれた基地は、中華民国の防衛だけでなく、アジアにおける共産勢力の拡大を防ぐアメリカの「封じ込め政策」の一環として、その戦略に組み込まれていった。

台湾駐留米軍の存在は、経済上の特需をもたらし、安全保障上の効果を生んだ一方で摩擦も生んだ。1957年の米軍人による台湾人青年の射殺事件が台湾世論を激しく揺るがし、刑事裁判権の所在をめぐる問題が顕在化した。また、ベトナム戦争が激化した1960年代には、台湾は米軍の補給拠点や休養地として機能するようになり、米兵を相手にした風俗業に台湾人女性が従事することなどが問題になった。

1970年代、アメリカはベトナム戦争の収束と対中接近を背景に、台湾駐留米軍の段階的な撤退を始めた。そして1979年1月、アメリカは中華人民共和国と国交を樹立し、中華民国とは断絶。同年末の米華相互防衛条約の失効を前に、それを法的根拠としていた台湾駐留米軍もすべて撤退した。こうして約30年に及んだ米軍の台湾駐留は幕を閉じた。

米軍撤退後も、台湾各地に米兵が暮らした「アメリカ村」などの痕跡が残り、人々の記憶に刻まれている。米軍の駐留は台湾の防衛政策や対米関係に影響を与え、軍制改革や安全保障協力の基盤となった。現在、台湾に米軍は常駐していないが、武器供与や交流は形を変えて継続されており、「駐留の記憶」は今も台湾の安全保障のなかに息づいている。


(五十嵐隆幸氏提供)

もっと知りたい方のために

・五十嵐隆幸「アメリカの戦後構想における台湾の戦略的価値(1943-1951)――統合参謀本部の海外基地計画に着目して」『軍事史学』第60巻第2号、2024年
・五十嵐隆幸『大陸反攻と台湾――中華民国による統一の構想と挫折』名古屋大学出版会、2021年

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