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基隆港

基隆港

台湾の玄関口だった基隆港に立ち、日本と台湾との関係を考える

基隆は台湾北端へと連なる山並みが海の中へ深く切れ込んだ所に位置しており、天然の良港としての条件を具えています。また、近隣の山地では金鉱や炭鉱が発見されており、そうした鉱山資源の輸出地としても注目されました。19世紀後半、台湾巡撫(知事に当たる)・劉銘傳によって築港計画が立てられ、台北との間を結ぶ台湾初の鉄道も敷設されました。日本統治時代に入ると大規模な築港工事が繰り返され、現在の基隆港の原型ができ上がります。戦後も貿易港や軍港として発展し、近年ではクルーズ客船の母港としての機能も持つようになりました。基隆は雨が多い気候であることから「雨都」「雨港」などとも呼ばれます。基隆を訪れるときは雨具を忘れず、天気予報に注意しましょう。

学びのポイント

基隆はいつから国際港なの?

東アジアの航海ルートにおける基隆の重要性は早くから知られており、17世紀には基隆港の入口にあたる和平島がスペインに占領されました。その後、清朝統治期の1863年には淡水港の附属港として開港され、税関が設置されます。1895年に日本が台湾を領有すると、拠点港として重視され、大規模な築港工事が行われました。戦後も国際貿易港として発展を続け、1980年代にはコンテナ取扱量で世界第七位となりました。しかし、1990年代後半になると貿易構造の変化や港湾の狭さなどのため、基隆の貿易は低迷し始めます。現在は観光化に結び付ける形で港湾の振興が図られており、クルーズ客船も就航しています。

日本との関わりは?

基隆は台湾の北端に位置しているため、かつては日本の門司港、神戸港などとの航路があり、台湾の玄関口としての役割を果たしていました。日本から船でやって来た人の大半は、まずこの基隆港に降り立ちました。日本と台湾を行き来した人々の手記や日記、作品などを見ると、基隆についてよく言及されています。台湾が日本の植民地だった時代、基隆は日本人の人口比率が一番高い町だったと言われます。日本の敗戦により植民地統治が終わると、引揚船を待つ日本人はやはりこの基隆港の近辺に集められました。

基隆港の見どころは?

基隆港の一番奥にあたる部分は現在、海洋広場として整備されています(台湾鉄道の基隆駅から歩いてすぐです)。そこに立って港を眺め渡すと、遠くの方にガントリークレーン(コンテナの積卸をする巨大クレーン)が林立しているのが見えて、国際貿易港として今も現役であることが分かります。クルーズ客船や軍艦も見られるかもしれません。広場のすぐ近くには陽明海洋文化芸術館(1915年完成の旧日本郵船株式会社基隆支店。現在は陽明海運の所有)、海港大楼(1934年完成の旧基隆港合同庁舎。現在は政府機関が使用)といった歴史建築があります。港の西側の高台(虎仔山)にのぼると、港湾の情景が一望できます。
さらに学びを深めよう
  • 【現地体験学習】海港大楼の裏手の埠頭では、地面に世界各地の方角が示されています。日本の方角を現地で確認してみましょう。
  • 【事前学習】【事後学習】基隆港ではどのような物が輸出入されていたのか、調べてみましょう。
  • 【事前学習】【事後学習】基隆港はかつて台湾の玄関口でした。当時、台湾を訪れた作家の作品を探して、基隆がどのように描かれているのか、確認してみましょう。
参考資料
日本統治期の基隆港の輸出入の状況については、井上敏孝「日本統治時代の基隆築港事業--港勢の変遷と基隆港における輸移出入状況を中心に」(『現代台湾研究』第36号、2009年)を読んでみましょう。片倉佳史『古写真が語る台湾 日本統治時代の50年 1895-1945』(祥伝社、2015年)では基隆についても日本統治時代の建築物を中心に写真付きで解説されています。また、「基隆旅遊網」(基隆市政府観光及城市行銷処)では日本語ページも用意されています。画像をふんだんに使って基隆の観光スポットを紹介していますので、ご覧になってください。

(黒羽夏彦)

ウェブサイト
交通部観光局https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003105&id=5587
所在地
基隆市仁愛区忠一路