・春山明哲・松田康博・松金公正・川上桃子編『台湾の歴史 大全――基礎から研究へのレファレンス』藤原書店、2025年
・野口真広『植民地台湾の自治 自律的空間への意思』早稲田大学出版部、2017年
林献堂(りん けんどう)
(1881年12月3日〜1956年9月8日)
日本統治期に活動した民族運動家。台湾有数の資産家、霧峰林家に生まれる。青年時代に中国の啓蒙思想家、梁啓超と出会って近代思想の影響を受け、台湾人の近代化と地位向上を目指すようになった。
1914年、板垣退助の呼びかけに応えて台北で「台湾同化会」を結成したが、当局の介入により解散。翌1915年、台湾人子弟のための教育機関「台中中学校」を設立する。1919年、東京で政治団体「啓発会」を結成し、その発展形として翌1920年に「新民会」を発足、いわゆる「六三法」(台湾総督に律令発布権を与えた法律)の撤廃を目指した。
その後、1921年から「台湾議会設置請願運動」を展開。同年、蔣渭水らが台湾文化協会を設立すると総理に就任、同会発行の刊行物『台湾民報』の理事長を務めるなど、指導的役割を担った。
1927年、路線対立から文化協会を脱退し「台湾民衆党」を設立。さらに1930年、蔣渭水と決裂して「台湾地方自治連盟」を結成した。しかし、総督府の民族運動弾圧が強まると次第に活動から距離を置くようになる。1945年、貴族院勅撰(ちょくせん)議員に就任。戦後は彰化銀行理事などを歴任し、1949年から日本に居住。1956年、東京で死去した。
