1920-30年代、台湾社会のエリート層は新聞雑誌を創刊し、さまざまな講演会や演劇、映画鑑賞会、音楽会などを開催しました。これは政治社会運動と連動したもので、植民地知識人の新文化運動と言えます。この時代、多くの西洋や日本のモダン文化が台湾に伝来し、台湾の「ルネサンス」の時代とも言われました。そのうち、新文学や流行歌の創作などで 大きな業績が生まれました。
日本統治期の台北には北と南の警察署、そして萬華分署が設けられましたが、これは「城内、萬華、大稲埕」という台北三市街区の区分と一致しています。城内の東側の台北監獄には、刑が確定した受刑囚が収容されました。戦後、台北市には市の警察署のほかに、各行政区に「分局」が置かれ、北警察署は「大同分局」となりました。統治者が交代しても、統治手段としての警察署や監獄は依然として必要だったと言えるでしょう。
何義麟提供
台湾新文化運動紀念館の展示は抗日運動やそのリーダーたちを讃えるのではなく、新文化の展開とその成果を強調することに重点を置いています。「拘置所」や「水牢」の展示には抗日の側面もありますが、史跡を紹介するという意味の方が強いと言えるでしょう。新文化運動のネーミングにはポジティブな意味が込められ、普通の抗日記念館とは全く違った発想が込められています。
李鎧揚提供