国共内戦(こっきょうないせん)
中国国民党(以下、国民党)と中国共産党(以下、共産党)の対立は1920年代に始まり、二度にわたる国共内戦を引き起こした。第1次国共内戦(1927~37年)は国民党による共産党勢力の排除を目指す内戦だったが、日中戦争の勃発(1937年)により一時的に停戦し、抗日で共闘する「国共合作」が実現した。だが戦後、中国大陸の政治秩序をめぐって再び両党の主導権争いが表面化し、第2次国共内戦(1946~49年)に突入する。
1945年10月、国共両党は「双十協定」を締結して内戦の回避を試みたが、妥協は成立せず、1946年には武力衝突が再燃した。国民党は同年11月、単独で「中華民国憲法」の制定に踏み切り、1947年1月に公布した。しかしこれは、共産党との対決姿勢を強めることにもなった。
第2次国共内戦では、南京を首都とする中華民国政府が国家体制を維持しようとしたが、共産党は農村を拠点に勢力を拡大し、ゲリラ戦や宣伝戦で優位に立った。国民党はアメリカの支援を受けたものの、統治の腐敗や経済混乱などから支持を失い、内戦に敗北する。
1949年、共産党の毛沢東は、北京で中華人民共和国の成立を宣言した。一方、蔣介石率いる中華民国政府(国民党)は台湾へと移転し、中国大陸を軍事力で奪還すべく「大陸反攻」を掲げた。この結果、中国には二つの「政府」が併存する形となり、台湾と大陸との分断が固定化されることになった。
国共内戦は、今日の台湾問題や中台間の緊張を理解するための原点である。台湾海峡危機や国際社会における台湾の地位の曖昧さなど、多くの現代的課題はこの内戦の結果に根ざしており、その歴史的背景を正確に知ることが重要である。
もっと知りたい方のために
・井口治夫・松田康博「日本の復興と国共内戦・朝鮮戦争」(川島真・服部龍二編『東アジア国際政治史』名古屋大学出版会、2007年)所収
