蔣介石(しょう かいせき)

家永真幸

(1887年10月31日-1975年4月5日)

 中国の政治家。中華民国総統。1950年代から死去まで、台湾の政治指導者として強大な権限を掌握した。清朝末期に中国浙江省に生まれ、1900年代後半に日本に留学して軍事を学ぶ。この間、清朝打倒をめざす革命運動に身を投じる。1912年の中華民国成立後の内乱のなか、1920年代に中国国民党の孫文の下で軍事指導者として頭角を現した。1925年に孫文が死去した後、国民党の主導権を握る。1920年代後半以降、北京で政権を握っていた北洋軍閥を打倒し、勢力を伸ばしはじめた中国共産党への圧力を強めていった。1930年代後半に共産党と一時的に和解し、日中間が全面戦争に突入すると協力して徹底抗戦を続けた。第二次世界大戦中は、米英をはじめとする連合国側の重要なリーダーとして国際社会での存在感を強めた。

第二次世界大戦後、台湾は中華民国の施政下に入る。国民党政権は共産党との内戦に敗れて台湾に撤退し、台湾島を中心とする一部地域のみを統治する状態に陥った。台湾では共産党を取り締まるとの名目で、1947年の二二八事件をはじめ、国民党に反対する勢力への厳しい政治弾圧(白色テロ)が行われ、蔣介石は強権的な指導者としてその地位を固める。1947年に施行された「中華民国憲法」の民主的な内容は、内戦中であることを理由に凍結された。

蔣介石の名目上の身分が「中華民国総統」および「中国国民党総裁」であったことには注意が必要である。蔣介石自身は、「台湾」の政治指導者というより「台湾を含む中国全土」の政治指導者であろうとしていた。しかし、中国大陸には1949年に中華人民共和国が成立し、ライバルである中国共産党による政権が強固になっていった。そのため、台湾における蔣介石は実態とは異なる願望を抱いた状態で政治を行わざるを得なかった。

蔣介石は国民党員やその支持者から見れば、日本と戦い、台湾を中華民国に取り戻した偉大な指導者である。一方で、国民党政権下で不当な拘禁や殺害に遭った台湾住民やその遺族にとっては深刻な人権抑圧の責任者である。1990年代に民主化を遂げた今日の台湾において、学校や公的施設に設置された銅像の撤去など、蔣介石個人を崇拝した痕跡を除去することが重要な政治課題とされているのはこのためである。

もっと知りたい方のために

・段瑞聡『蔣介石の戦時外交と戦後構想――1941-1971年』慶應義塾大学出版会、2021年
・麻田雅文『蔣介石の書簡外交――日中戦争、もう一つの戦場』上下巻、人文書院、2021年
・薛化元著、周俊宇・岩口敬子訳「戦後台湾における非常時体制の形成過程に関する再考察」『中国21』第36巻(2012年3月)

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