國立中正紀念堂 国立中正紀念堂

中華民国を象徴する空間から台湾民主化の舞台へ

国立中正紀念堂提供

国立中正紀念堂の「中正」とは、蔣介石(1887-1975)の別称です。蔣介石は、中華民国初代総統・中国国民党総裁ですが、国共内戦の中で、1949年に、中国国民党を率いて台湾に渡り、台北を中華民国の臨時首都としました。国立中正紀念堂は蔣介石を記念するもので、死去5年後の1980年に落成しました。「自由広場」と記されたメインゲートを入ると、広場の左右に音楽庁と戯劇院、さらに民主大道を奥へと歩いていくと、青と白のメモリアルホールがあります。メモリアルホールに鎮座して中国の方向を見つめる蔣介石のブロンズ像を、衛兵が直立不動で見守っています。台北の中心部に壮大なスケールで建設された国立中正紀念堂の敷地総面積は25万㎡、東京ディズニーランドの約半分の広さです。

学びのポイント

台北の一等地になぜ広大な地が?

この地は、清代にも日本統治期にも軍用地で、戦後も中華民国の陸軍総司令部などが置かれていました。1970年代初め、軍事施設の郊外移転に伴い、世界貿易センター、ホテル、オフィスビル、商業施設などを建設し副都心化する計画が持ち上がりました。しかし、蔣介石の死去により、国立中正紀念堂の建設地に選ばれます。もともとの案であった副都心化計画は、現在、台北101がそびえ立つ信義区で実現されました。

建築に表された「中華」?

メモリアルホールの青と白は中華民国の国旗「青天白日満地紅旗」の紋章の色、北京の故宮のような外観の戯劇院の黄色は中国の皇帝の色を表しています。圓山大飯店と同じく楊卓成の設計による国立中正紀念堂は、伝統的中国宮殿式で、蔣介石を記念すると同時に中華民国を象徴する空間でもあり、あらゆるところに「中華」モチーフが取り入れられています。本館1階にある「蔣中正総統文物展視室」では蔣介石の遺品なども見学できます。

永吉美幸撮影

「大中至正」から「自由広場」へ?

当初のメインゲートには「大中至正」と記されていました。「大中至正」は、蔣介石が一部を自らの名としたお気に入りの座右の銘です。しかし、1980年代以降の民主化運動や台湾人アイデンティティの高まりによって、かつて「神格化」された蔣介石への再評価が行われ、2007年に「自由広場」へと表記が改められました。国立中正紀念堂の広場も、1990年の野百合学生運動を始め、長年にわたり民主化運動の舞台となってきました。蔣介石は民主化を求める台湾の人々を、どんな気持ちで見ていたのでしょうか。

野百合学生運動(国立中正紀念堂提供)

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】【事後学習】蔣介石がどんな人物だったか、台湾での彼の活動や評価を中心に調べてみましょう。
  2. 【事前学習】【事後学習】台湾の民主化の歴史について調べてみましょう。
  3. 【現地体験学習】国立中正紀念堂の建物に見る「中華」モチーフを探してみましょう。

参考資料

国立中正紀念堂については、「おうちで楽しもう台湾の博物館」第4回「国立中正紀念堂」を見てみましょう。蔣介石・中華民国・国民党については、赤松美和子・若松大祐編『台湾を知るための60章』(明石書店、2016年)の第4章「歴史➃1945年から1991年まで国民党統治時代」、第11章「政治体制」、第16章「統治・独立・現状維持」、第46章「中華文化・本土文化・日本文化」、第56章「人物―政治」に詳しい紹介があります。蔣介石については、本田善彦『台湾総統列伝―米中関係の裏面史』(中公新書ラクレ、2004年)もおすすめです。さらに専門的知識を深めたい方は、若林正丈『台湾の政治―中華民国台湾化の戦後史』(東京大学出版会、2008年)を読んでみましょう。ヤン・ヤーチェ監督の映画『GF*BF』には、中正紀念堂での野百合学生運動の場面が出てきます。『GF*BF』については台湾修学旅行アカデミー by SNET台湾 第8回 映画で知る台湾~青春恋愛映画篇~(講師:三澤真美恵(日本大学))でも紹介されています。

(赤松美和子)

ウェブサイト
公式https://www.cksmh.gov.tw/ 交通部観光局https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003016&id=73 台北旅遊網(台北市政府観光伝播局)https://www.travel.taipei/ja/attraction/details/741
所在地
台北市中山南路21号