眷村(けんそん)
中国国民党政府が外省人の軍人や公務員、教員などに提供した住宅。1946年から1949年の国共内戦に敗れた中国国民党とともに約100万人が台湾に移住し、彼らは外省人と呼ばれた。特に、約60万人の軍人の居住場所の確保は重要な問題であった。1950年の法律改正によって彼らの集中管理と集住が行われることとなり、それが眷村の始まりとされている。1980年代の半ばまでに台湾各地に888カ所の眷村がつくられた。住宅はコンクリート造りの建物が多かったが、日本統治時代の木造の官舎群も活用された。
1997年に眷村の建て直しに関する法律が制定され、高層マンション化が進められた。
その一方で、2000年代半ばから国防部(国防省)により眷村を保存する動きが活発化していく。2007年には条例の修正が行われ、眷村の文化資産としての整備が促進されることとなった。現在は、台北の四四南村や新北市の空軍三重村のように、古蹟などの歴史建築物として保存されている眷村もある。また、高雄の眷村、再見捌捌陸-台湾眷村文化園区は民宿や芸術・演劇活動の創造空間に、台中市の彩虹眷村はカラフルに彩色されたアートな観光スポットになっている。
長らく眷村は外省人の外省人による外省人のための居住場所とみなされてきたが、現在は、台湾の独自文化のひとつであり、台湾の歴史を学ぶ場と認識されている。眷村には外省人だけではなく、外省人男性と結婚した本省人や先住民の女性、その子供らも居住し、独自の食文化を生み出すなど中国大陸の文化と台湾の文化が融合する空間でもあったからである。前述のほか、新竹市の眷村博物館、桃園市亀山の眷村故事館、高雄市の眷村文化館などは、眷村またはその一角が資料館等になっている。これらの資料館では、各眷村の歩み、外省人の故郷への思い、彼らの台湾での暮らしや眷村独特の文化などを知ることができる。
もっと知りたい方のために
・ステファン・コルキュフ著、上水流久彦・西村一之訳『台湾外省人の現在』風響社、2008年
・上水流久彦「台湾の本土化後にみる外省人意識」沼崎一郎・佐藤幸人編『交錯する台湾社会』アジア経済研究所、2012年
・朱天心「眷村の兄弟たちよ」(孩子王クラス訳著『二つの家郷のはざまで』藍天文芸出版社、1999年
・赤松美和子「「朱天心「想我眷村的兄弟們」にみる限定的な「私たち」」『お茶の水女子大学中国文学会報』(27)、2008年
