蔣渭水(しょう いすい)

胎中千鶴

(1890?/1891?―1931年8月5日

 日本統治期の台湾における民族運動家。台湾北東部の宜蘭に生まれる。1910年、台北医学校に入学、在学中に孫文の中国革命思想に大きな影響を受け、民族運動をこころざす。卒業後、台北の大稲埕(現在の台北市大同区・迪化街付近)に「大安医院」を開業する。

 1921年の「台湾文化協会」設立に尽力し、専務理事に就任。1923年、台湾議会設置請願運動の推進団体「台湾議会期成同盟会」を組織したが、総督府による弾圧が強まり、治安警察法違反で検挙された(治警事件)。

しかし、その後も講演会や講習会など文化協会の活動を積極的に展開し、台湾人の民族意識を高めた。1927年、路線対立により林献堂や蔡培火らとともに文化協会を脱退し、新たに「台湾民衆党」を結成。その後、林献堂や蔡培火らは台湾民衆党を離れ「台湾地方自治連盟」を組織したが、蔣渭水は労働者・農民の支持を得るため活動を継続、1931年に台湾民衆党が結社禁止令によって解散するまで、党の中心的存在として影響力を持ち続けた。

同年8月、腸チフスにより死去。同月台北で挙行された葬儀は「大衆葬」と呼ばれ、近代的合理主義の観点から、伝統的な慣習や宗教色を排除した簡素なものであった。その抗日的なあり方、議会設置の志向、民主主義の基礎をつくったことなどから、台湾中から高く評価され、各地に彼の名を冠した道路や記念公園がつくられている。

 

もっと知りたい方のために

・春山明哲・松田康博・松金公正・川上桃子編『台湾の歴史 大全』藤原書店、2025年
・若林正丈『台湾抗日運動史研究 増補版』研文出版、2001年