台南の中心部、赤崁樓のすぐ西側はかつて台江内海という海に面しており、古くから貿易港として発展していました。この内海は土砂の堆積で徐々に埋まり、現在では陸地になっています。清代には運河で安平方面とつながっており、五つの水路状の港(新港墘港、佛頭港、南勢港、南河港、安海港)に分かれていたことから五条港と呼ばれました。清代には五つの港に航海安全を祈る廟が建てられ、その周囲に商家が林立、台南で最も賑やかな商業地区が形成されました。埠頭では肉体労働者が荷物運びに精を出し、中国大陸から役人が来ればやはりこの五条港に降り立ちました。接官亭は役人の送迎地点を示しています。
五条港が栄えていた清代は、主に対岸の中国大陸との間で交易が行われていました。台湾南部は米とサトウキビの産地であり、五条港からの交易品は米と砂糖が中心でした。中国大陸から戻ってくる船には日用生活品をはじめ様々な品が積まれていたようです。こうした交易に従事した商人の同業組合を「郊」と言い、五条港では北郊、南郊、糖郊という三つの同業組合が連合して「三郊」が組織されました。清代の台湾では政府の行政機能が弱かったので、「三郊」が実質的に自治を担っていました。
五条港の港はすでに埋まってしまい、現在は道路になっています。路上にかつての港跡を示す標識が埋め込まれているので、位置を確認しながら歩くと面白いですよ。この付近では今でも古い建物がちらほら残っているのが見かけられます。特に有名なのは神農街(旧南勢港沿い)です。古い建物を使って色々な店が開かれ、若い人が個性的なグッズ(「文創」と呼ばれます)を売っているのも目立ちます。歴史景観を活用した街づくりによって多くの観光客が集まるようになった反面、マナーの悪さも目立ち、住民が迷惑することもあります。観光化の矛盾をどのように解決するかはこれからの課題です。
五条港神農街(台南市政府観光旅遊網図庫系統 徐志忠、呂立翔撮影)