五條港文化園區 五条港文化園区

清代に貿易港だった商業地域で昔ながらの生活光景を感じてみよう

五条港神農街(台南市政府観光旅遊網図庫系統 劉威廷、莊秉諭撮影)

五条港は清代に貿易港として栄えた商業地域です。1920年に台南を訪れた作家・佐藤春夫が作品の中で「荒廃の美」を語ったように、当時の五条港はすでに衰退しつつありました。最近は古い家屋をリノベーション(再生、活用)して新たな文化の発信地にしようという動きも目立ちます。とりわけ神農街や信義街が有名です。この辺りには水仙宮、西羅殿、風神廟などの廟、兌悅門や接官亭など歴史的な建築も健在です。小さな路地に入り込むと、昔ながらの古い店が日常生活の中に溶け込んでいる様子も見られます。路地裏歩きは楽しいですが、迷惑にならないようマナーを守りながら散策しましょう。

学びのポイント

五条港とは何ですか?

台南の中心部、赤崁樓のすぐ西側はかつて台江内海という海に面しており、古くから貿易港として発展していました。この内海は土砂の堆積で徐々に埋まり、現在では陸地になっています。清代には運河で安平方面とつながっており、五つの水路状の港(新港墘港、佛頭港、南勢港、南河港、安海港)に分かれていたことから五条港と呼ばれました。清代には五つの港に航海安全を祈る廟が建てられ、その周囲に商家が林立、台南で最も賑やかな商業地区が形成されました。埠頭では肉体労働者が荷物運びに精を出し、中国大陸から役人が来ればやはりこの五条港に降り立ちました。接官亭は役人の送迎地点を示しています。

どのような貿易が行われていたのですか?

五条港が栄えていた清代は、主に対岸の中国大陸との間で交易が行われていました。台湾南部は米とサトウキビの産地であり、五条港からの交易品は米と砂糖が中心でした。中国大陸から戻ってくる船には日用生活品をはじめ様々な品が積まれていたようです。こうした交易に従事した商人の同業組合を「郊」と言い、五条港では北郊、南郊、糖郊という三つの同業組合が連合して「三郊」が組織されました。清代の台湾では政府の行政機能が弱かったので、「三郊」が実質的に自治を担っていました。

現在はどうなっていますか?

五条港の港はすでに埋まってしまい、現在は道路になっています。路上にかつての港跡を示す標識が埋め込まれているので、位置を確認しながら歩くと面白いですよ。この付近では今でも古い建物がちらほら残っているのが見かけられます。特に有名なのは神農街(旧南勢港沿い)です。古い建物を使って色々な店が開かれ、若い人が個性的なグッズ(「文創」と呼ばれます)を売っているのも目立ちます。歴史景観を活用した街づくりによって多くの観光客が集まるようになった反面、マナーの悪さも目立ち、住民が迷惑することもあります。観光化の矛盾をどのように解決するかはこれからの課題です。

五条港神農街(台南市政府観光旅遊網図庫系統 徐志忠、呂立翔撮影)

 

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】【事後学習】清代の大陸・台湾間の交易について調べましょう。
  2. 【現地体験学習】五条港付近には古い店が色々と残っています。どんな店があるのか、現地で確認してみましょう。
  3. 【事後学習】歴史景観の観光化にはどのような長所と短所があるのか、考えてみましょう。

参考資料

伊藤潔『台湾──四百年の歴史と展望』(中公新書、1993年)の「第三章 清国の台湾領有と初期の経営」を読むと五条港が形成された当時の時代背景がつかめます。「女誡扇綺譚」(『佐藤春夫台湾小説集──女誡扇綺譚』中公文庫、2020年)は佐藤春夫が1920年に台湾を旅行した時の見聞をもとに書かれた小説で、五条港を含む当時の台南の情景が描き出されています。河野龍也「台南 古都に〝幽霊屋敷〟を訪ねて──女誡扇綺譚」(辻本雄一監修・河野龍也編著『佐藤春夫読本』勉誠出版、2015年)や大東和重『台湾の歴史と文化』(中公新書、2019年)の「第4章 古都台南に残る伝統と信仰──清朝文化の堆積」と合わせて読むと良いでしょう。

(黒羽夏彦)

ウェブサイト
台南旅遊網(台南市政府観光旅遊局)https://www.twtainan.net/ja/attractions/detail/4801
所在地
台南市中西区五条港里