林辺渓を横断する二峰圳の地下堰堤の上部(屏東県政府提供)

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二峰圳

二峰圳

日本統治期に築かれた水利インフラを多角的に捉える

台湾南部の屏東県来義郷に位置する二峰圳は、日本統治時代中期の1923年に建設された水利インフラです。当時の台湾糖業株式会社が、砂糖の原料であるサトウキビの増産に必要な灌漑用水を確保するため、同社の技師である鳥居信平(1883〜1946)を中心に、林辺渓の上流に地下堰堤および集水廊道を建設しました。川床下の伏流水を利用するこの工法は、従来型のダムと比較して環境への影響を抑えるものであり、現在でも多くの研究者や専門家の注目を集めています。この地域を生活の場とするパイワン族は、建設当時において重要な労働力を担いました。二峰圳が完成した後の施設の維持や管理、さらにパイワン族と二峰圳建設にまつわる歴史的記憶の保存と継承においても重要なシンボルです。

学びのポイント

台湾製糖株式会社と原料増産のための水利建設

清国との下関条約で台湾を獲得すると、日本は砂糖を戦略的に自給するため、三井財閥を主とする政財界の出資で1900年に台湾製糖株式会社を設立するとともに、最初の新式糖業工場を建設しました。その後、塩水港、大日本、明治などの製糖会社も次々と台湾に進出し、「工業は日本、農業は台湾」という枠組みの中、台湾は植民地経済構造へ転換しました。政府主導で製糖会社に多くの支援策が講じられ、サトウキビの原料確保を狙って採取区が設けられ、地域の農民は指定された製糖工場にしか納入できない体制がつくられました。台湾総督府は、製糖設備や灌漑・排水などのインフラ整備に対して補助を行い、水利工事に従事するために、多くの技術者が台湾に渡航しました。鳥居信平もその一人でした。

鳥居信平像(洪郁如提供)


植民地台湾に渡った近代日本の技術者・鳥居信平

静岡県出身の鳥居信平は、東京帝国大学農科大学に進学し、上野英三郎に師事しました。卒業後は農商務省に勤務し、中国・山西省の農林学堂に勤めた後、徳島県土木課の技師を経て、1914年に恩師・上野の推薦により台湾製糖株式会社へ転職しました。1918年には、台湾最大の製糖工場である阿猴工場に配属され、屏東平原で自社農場の土地改良および通水工事に従事しました。屏東平原では、12月以降の乾期になると降水量が著しく減少するため、成熟期を迎えるサトウキビの生産に大きな影響を及ぼします。鳥居は綿密な水源調査の結果、林辺渓上流において豊富な伏流水の存在を確認し、これを活用するための灌漑水利施設として地下堰堤の設計・立案を行いました。1923年に竣工した二峰圳の名称は、当時の台湾製糖株式会社社長、山本悌二郎の雅号に由来しています。この地下堰堤は、河道を横断して河床下に327メートルにわたって築造されました。地下水の流れを遮断する仕組みで、止水壁には、縦幅2.8メートルの補助壁が斜めに設置されており、ここを通過する伏流水は自然に濾過されます。水は地下へ浸透する際だけでなく、堰堤で堰き止められる過程でも濾過されるため、水質は非常に清浄に保たれます。こうした豊富な給水は、新たに開設された萬隆農場などを潤しました。

導水路および側方越流堰:左側の水路は灌漑用の用水です。水量が増えて水が中央の潜堰を越えて右側の水路にあふれた場合、その水は林辺渓へと戻ります。(洪郁如提供)


パイワン族と二峰圳

2008年、二峰圳の全長3252メートルにおよぶ水路区間が、台湾の文化的景観として認定・登録されました。二峰圳の歴史において、台湾の先住民族であるパイワン族は非常に重要な役割を担ってきました。1921年、水源使用許可を得るため、鳥居らが水源地に暮らすパイワン族の頭目たちを訪ね、灌漑工事の重要性を説明して協力を求めました。また、建設にあたっては、延べ14万人以上の先住民族の労働者が動員されました。このとき、土地の使用や竣工後の管理・監視に関する契約書が取り交わされました。その後、良好な水質を求めてもとの居住地から山を越えて移り住んだ人々が、この地に新たな集落を築きました。現在に至るまで、パイワン族の人々は土地と環境を守り続けており、この地域は文化的な通廊として、また来義郷での最良の環境教育の場としての役割も果たしています。
さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】日本による台湾植民地統治に関わった日本人技術者は、どのように語られ、称えられているでしょうか。二峰圳と鳥居信平についての語られ方は、烏山頭ダム八田與一の事例と比べて、どのような特徴があるかを考えてみましょう。
  • 【事前学習】【現地体験学習】 取水口、堰堤、導水路などの施設の場所を地図を参照しながら現地で確認し、その構造をスケッチとともに説明してみましょう。
参考資料
台湾製糖株式会社と二峰圳については、梶原健嗣「台湾製糖株式会社と二峰圳:台湾植民地統治期の灌漑事業」(『愛国学園大学人間文化研究紀要』23巻、2021年、33-48頁)、平野久美子「『二峰圳』は、未来土木のお手本」(『交流』No.978、2022年9月、14-20頁)を読んでみましょう。

(洪郁如)

ウェブサイト
屏東県来義郷公所「二峰圳文化教育廊道」 https://www.pthg.gov.tw/laiyi/cp.aspx?n=FBECAC8C210F8DD2

(中国語)

所在地
屏東県来義郷古義路3号

特記事項