烏山頭水庫風景區 烏山頭ダム風景区

ダム建設の歴史から台南地域を考えよう

洪郁如撮影

台湾高速鉄道の嘉義駅から車で約1時間、烏山頭水庫風景区は、烏山頭ダムを中心に公園として整備された自然あふれる観光スポットです。入り組んだ地形が珊瑚に似ていることから「珊瑚潭」の名も持つこのダムは、日本統治期の1920年に着工、10年の歳月を経て完成しました。当時としては最新技術を駆使した世界有数の巨大プロジェクトで、「東洋一のダム」とも呼ばれました。戦後は嘉南農田水利会によって管理され、今も嘉南地域に農業用水を供給しています。風景区内にはダム建設を指揮した台湾総督府の技術者八田與一の銅像や墓碑、記念公園などもあり、多くの日本人が訪れる場所としても知られています。

学びのポイント

なぜこの地域にダムが必要だったのですか?

台湾中南部に広がる嘉南平原では、清朝統治期の17世紀には中国大陸からの移民によって開墾が進み、耕地が広がっていました。しかし、夏の豪雨による洪水、冬の干ばつや塩害などの厳しい自然環境が災いし、農作物を安定的に収穫することが困難でした。日本が統治していた1920年代、台湾総督府はこの土地で甘蔗(さとうきび)と米を中心とする農産物の生産量向上をめざします。日本にとって植民地台湾は、内地の人々のための貴重な食糧供給源だったからです。そこで、耕地への十分な給水を可能とする近代的な設備が必要不可欠となりました。

ダムはどのように造られたのですか?

1920年、総督府はダムと水田に水を導く給排水路からなる巨大な水利施設、「嘉南大圳」建設に着工しました。1930年、貯水量1億5000万トンの烏山頭ダムと、総延長1万6000キロメートルの送水・排水路をもつ嘉南大圳が完成しました。烏山頭ダムの堰堤は全長1273メートル、高さ56メートル。このとき採用された「セミ・ハイドロリックフィル工法」(コンクリートを少量しか使わず、ポンプで大量の水をかけ、粘土と土砂を水圧で固めて築堤する工法)は、当時の最先端の技術といわれています。

八田與一はどのような人なのですか?

八田與一(1886-1942)は、現在の石川県金沢市出身、東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業後、1910年に台湾総督府土木部技手として赴任しました。4年後、技師に昇進、建設のための調査や設計に携わり、1921年から烏山頭ダムと灌漑施設建設の指揮をとりました。ダム工事では、アメリカで使用されていた大型土木機械を導入して工期を短縮したほか、現場に作業員用の宿舎や学校、病院などを併設し、福利厚生に尽力したことも評価されています。

洪郁如撮影

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】【事後学習】烏山頭ダムや灌漑施設の建設によって、当時の地域住民の生活はどのように変化したのか、調べてみましょう。
  2. 【事前学習】【事後学習】八田與一は日本ではいつごろから注目されるようになったのか、調べてみましょう。

参考資料

烏山頭ダムとその周辺施設については、一青妙『台南 「日本」に出会える街』(新潮社、2016年)が、写真とエッセイで紹介しています。八田與一を知るには、胎中千鶴『植民地台湾を語るということ-八田與一の「物語」を読み解く』(風響社、2020年)があります。さらに専門的知識を深めたい方は、清水美里『帝国日本の「開発」と植民地台湾 台湾の嘉南大圳と日月潭発電所』(有志舎、2015年)、および同書にも所収されている「八田與一物語の形成とその政治性 : 日台交流の現場からの視点」(『日本オーラル・ヒストリー研究』第5巻、2009年)を読んでみましょう。

(胎中千鶴)

ウェブサイト
公式https://wusanto.magicnet.com.tw/ 交通部観光局https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003119&id=R106 台南旅遊網(台南市政府観光旅遊局)https://www.twtainan.net/ja/attractions/detail/4980
所在地
台南市官田区烏山頭里嘉南68-2号