各時代の行政区画と統治体制(家永真幸氏提供)
初代宜蘭庁長西郷菊次郎の公邸が記念館に(家永真幸氏提供)
宜蘭設治紀念館
宜蘭設治記念館
旧知事公邸で200年を超える宜蘭の治政を考える
宜蘭設治記念館の建物は、日本統治期の初代宜蘭庁長であった西郷菊次郎の公邸として建設されました。竣工は西郷離任後の1906年頃であるとされ、植民地統治期から戦後にかけて使われました。県知事として民主化運動を主導した陳定南や游錫堃もここを利用しました。老朽化のため1997年に修復され、記念館に生まれ変わりました。「設治」とは、ある地域を開拓し、統治を行うために行政区画・機関を設けることを意味します。同館の展示の主眼は、建物自体の歴史ではなく、日本の台湾領有以前の19世紀初頭の清朝時代まで遡り、統治という視点から200年以上の宜蘭の歴史を描くことです。統治とは何か。同館の静かな空間で、政治権力、土地、人々が交差するミクロな歴史を体感できます。
学びのポイント
地方政治の視点でみた宜蘭の誕生と変遷
1812年に清朝政府は宜蘭に噶瑪蘭庁を設置し、宜蘭は徐々に国家に統治されていきました。しかし、漢民族の入植以前、この地はカバラン(クバラン、漢字では噶瑪蘭)族の居住地でした。18世紀末に大量に移住してきた漢民族によってカバラン族の土地が奪われたため、一部のカバラン族は花蓮や台東の沿岸地域に移住しました。一方、現在16の先住民族の1つとして政府に認定されているタイヤル族は、約250年前に台湾の他地域からこの地に移住し始め、複数の集落を形成しました。その後清朝の統治を経て、1895年から約半世紀にわたり日本の植民統治下に置かれ、戦後は中華民国の時代になりました。館内の展示は、さまざまな政権の下で紡がれてきた宜蘭の歴史について、異なる時期の地図や所蔵品を通じて、わかりやすく解説しています。
なぜ日本植民統治を象徴する建物が修復されたのか
旧公邸の修復は、台湾に現存する他の日本統治期の建築の修復と同様、植民統治の肯定や単なる懐古のためにされたものではありません。1世紀以上の間に何度も増改築が繰り返されていたため、修復には膨大な予算がかかり、高度な知識と技術も必要でした。にもかかわらずこの修復が実現したのは、この建物がただの古蹟としてではなく、宜蘭の重層的な記憶を蘇らせる「歴史の空間」として再生されることを望む、人々の熱意と努力があったからです。現在は建物の玄関や土間、廊下のほか、樹齢100年を超えるクスノキがある庭なども保存されており、館内に展示されている写真で修復前後を比較することができます。それは、日本統治下の建物を「いま」修復することの意味を現地ならではの視点から考える上で興味深いものとなっています。
郷土の「偉人」への称賛を超えて
初代宜蘭庁長であった西郷菊次郎(1861–1928)の事績は、日本からの見学者の注目を集めます。菊次郎は西郷隆盛の長男であり、1895年に日本に割譲された台湾に赴任し、安平、基隆、宜蘭などで要職を歴任しました。特に、宜蘭庁長在任中の治水事業が高く評価されています。同館は、長い歴史の中で宜蘭の政治を見つめる姿勢が特徴的です。日本統治期に限らず、特定の政治的人物に焦点を当てることなく、清朝期の「三大老」と称される3名の官僚の神像、菊次郎時代の文書と写真、日本統治期に台湾人としては唯一宜蘭の郡守に任命された楊基銓が紹介され、戦後の民主化期における民選制度への移行の意義が淡々と示されています。また、民衆の反乱や社会運動が発生した背景には、民意が上層に伝わらないことや、財政重視に基づく国の地方に対する土地管理、日本統治期の「近代化」に伴う対外交通などの問題があると指摘し、これらについて官民関係をもとにして丁寧に説明しています。
館内の様子。写真奥が「三大老」(洪郁如氏提供)
西郷菊次郎(洪郁如氏提供)
さらに学びを深めよう
- 【事前学習】【事前学習】【事後学習】日本各地に、旧県知事公邸の記念館が数多くあります。それらのリノベーションの特徴や、建築が活用され始めた時期、地元との結びつきについて調べてみましょう。
- 【事前学習】【現地体験学習】【事後学習】西郷菊次郎関連の史跡を中心に、日本と宜蘭の間で戦後交流活動が行われてきました。一方で、同館では「抗日集団分布図」や、林火旺など「土匪」の「帰順式」の写真など、日本植民統治期の抗日運動に関わる展示もあります。日本による宜蘭の半世紀の統治について、さまざまな視点から考えてみましょう。
- 【現地体験学習】同館は和洋折衷の建築様式とされています。和風と洋風それぞれの要素を観察し、修復前後に大きく改変された部分を展示で確認してみましょう。
参考資料
日本統治初期の宜蘭について、池田辰彰「日本台湾統治時代初期宜蘭統治の研究」(関西大学、2013年)という博士学位論文があります。樟脳、茶、砂糖など「資源の宝庫」に着目し、先住民のタイヤル族に対して展開された台湾総督府の「教化」策についての研究として、北村嘉恵「台湾植民地戦争下における先住民「教化」策: 1895-1900年代初頭宜蘭庁の事例を中心に」(『北海道大学大学院教育学研究科紀要』90巻、25-42頁、2003年)が参考になります。
- ウェブサイト
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公式https://memorial.e-land.gov.tw/Default.aspx
(中国語)
- 所在地
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宜蘭市舊城南路力行3巷3号