戦前戦後の歴史が刻まれた製紙工場の遺構(松葉隼氏提供)
中興文化創意園區
中興文化創意園区
古くて新しい文創空間で宜蘭に栄えた製紙産業の歴史を感じる
中興文化創意園区は、中興紙業の製紙工場の跡地にあります。2001年に工場としての操業を終え、その後13年にわたって廃墟となっていましたが、近年、台湾全土で一大潮流となっている「文創」により、「懐かしさ」と「新しさ」が共存する商業・文化空間に生まれ変わりました。「文創」とは、文化創意産業の略で、簡単に言えば、歴史文化資源から今の人々に受け入れられる商品・サービスを創り出す産業です。中興文化創意園区では、宜蘭の地に栄えた近代製紙産業の歴史に触れると同時に、リノベートされたかつての製紙工場の建物で、「台湾らしさ」を感じさせる懐かしくも新しい商品を購入したり、さまざまな企画展やイベントで文化に触れたりすることができます。
学びのポイント
宜蘭の製紙産業と日本の実業家の関係は?
日本植民統治期に宜蘭で製紙業に乗り出した最初の人物は、日本人実業家の鈴木梅四郎でした。鈴木は宜蘭の二結で製糖工場を営んでいましたが、台湾各地に新式製糖工場が次々とできると、工場は業績不振に陥ります。そこで鈴木が考えたのが、バガスと呼ばれるサトウキビの搾りかすを原料に紙を製造することでした。渡台前、鈴木は王子製紙で専務を務めた経験があったのです。1918年、鈴木は社員を日本に派遣して技術を学ばせます。持ち帰った技術で白紙と包装紙の製造に成功しましたが、事業を軌道に乗せるには至りませんでした。製紙業を宜蘭の主要な産業に発展させたのは大川平三郎です。渋沢栄一が創設した抄紙会社(後の王子製紙)で外国人技師から技術を学び、日本で最初の製紙技師となった大川は10代でアメリカに渡り、そこでも製紙の技術を学びます。1898年に渋沢とともに王子製紙を去ると、数々の製紙会社で要職を務め、「製紙王」の異名を取りました。1933年、二結の製紙工場を買収して宜蘭での紙作りに乗り出した大川は、台湾興業という会社でススキとバガスを原料に質の高い紙を作り始め、台湾興業は1000人を超える従業員を擁する地元の大企業に成長しました。
戦後製紙産業の盛衰
第二次世界大戦後、日本が残した資産は政府に接収され、多くの公営事業、党営事業に生まれ変わり、政府や党(中国国民党)の重要な財源となります。台湾興業は1946年に複数の製紙会社と合併して台湾紙業となり、1959年に中興紙業と改称して完全に公営企業となりました。中興紙業はさまざまな紙製品を製造しましたが、特に重要なのは新聞用紙でした。新聞に使う紙の製造を公営企業が独占的に掌握していることは、「報禁」と呼ばれる報道と言論の自由の制限を進める政府にとって大きな意味を持っていました。1973年のオイルショックに起因する紙不足で外国製の紙が輸入されるようになると、質が価格に見合わない中興紙業の新聞用紙は新聞業界から避けられるようになります。政府による再三のテコ入れにもかかわらず、財政状況は悪化の一途をたどりました。1990年代には、工業から垂れ流される廃水の環境への影響が問題とされ、中興紙業は賠償金を課せられます。多額の債務を抱える中興紙業に設備改善の力はなく、遂には環境保護署から5カ月の営業停止命令を受けました。2001年、資金繰りに行き詰った中興紙業は経営破綻し、一部従業員が興中紙業を設立する形で民営化しました。
文創でモダンに生まれ変わったかつての製紙工場の建物(山﨑直也氏提供)
さらに学びを深めよう
- 【事前学習】日本統治時代、台湾のどこで、どのような産業が発展したかを調べ、その理由を考えてみましょう。
- 【事前学習】【事後学習】製紙業を宜蘭の一大産業に押し上げた大川平三郎の事績、2024年の新札発行で1万円紙幣に描かれることとなった渋沢栄一との関係について、さらに深く調べてみましょう。
- 【事前学習】【事後学習】戦後台湾の政府による公営事業と中国国民党による党営事業について調べてみましょう。
参考資料
中興文化創意園区が制作したドキュメンタリー映像「中興製紙 百年の風雅」には、日本語字幕版もあり、戦前・戦後を通じた宜蘭の製紙業の歴史を貴重な写真・映像と関係者の証言で知ることができます。「製紙王」大川平三郎については、ミネルヴァ日本評伝選の1冊として、四方田雅史『大川平三郎―一途に日本の製紙業の発展を考える男』(ミネルヴァ書房、2022年)という評伝が書かれています。同じ著者の「紙をめぐるグローバル・ヒストリーについての一試論:近代アジア太平洋圏に焦点を当てて」(『武蔵野大学政治経済研究所年報』22号、2023年、203-238頁)は、宜蘭における製紙産業をグローバルヒストリーの視点から考える興味深い内容です。
戦後台湾の公営事業の民営化については、北波道子「第5章 台湾における公営事業の民営化―経済部所属国営事業を中心に」(『台湾の企業と産業』日本貿易振興機構アジア経済研究所、2008年、171-208頁)、中国国民党の大きな財源となっていた「党営事業」については、松本充豊『中国国民党「党営事業」の研究』(アジア政経学会、2002年)、松本充豊「台湾の政治的民主化と中国国民党『党営事業』」(『日本台湾学会報』、第3号、2001年、1-23頁)が参考になります。
戦後台湾の公営事業の民営化については、北波道子「第5章 台湾における公営事業の民営化―経済部所属国営事業を中心に」(『台湾の企業と産業』日本貿易振興機構アジア経済研究所、2008年、171-208頁)、中国国民党の大きな財源となっていた「党営事業」については、松本充豊『中国国民党「党営事業」の研究』(アジア政経学会、2002年)、松本充豊「台湾の政治的民主化と中国国民党『党営事業』」(『日本台湾学会報』、第3号、2001年、1-23頁)が参考になります。
- ウェブサイト
- 公式 https://chccp.e-land.gov.tw/(中国語・英語)
- 交通部観光署 https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003106&id=A12-00300
- 博物館家族 https://families.lym.gov.tw/jp/search/TSILanMuseum-000068/
- 所在地
- 宜蘭県五結郷中正路二段6-8号