冨田哲撮影

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國立海洋科技博物館

国立海洋科学技術博物館

人文・科学技術、各側面から海洋台湾の姿を浮かびあがらせる博物館

基隆市街地北東の八斗子という町にある博物館です。海洋に対する理解や保全意識を高めるための教育、研究の場として2014年に正式にオープンしました。八斗子半島一帯が博物館の敷地で、その中心施設である主題館(テーマ館)では、深海、環境、文化、科学、水産、船舶など、多様な視点からの海洋に関する展示がおこなわれています。
もともとここには日本統治期の1939年に完工し、1983年に退役した台湾電力の北部火力発電廠という火力発電所がありました。主題館自体に水族館はありませんが、2022年6月、主題館から徒歩10分ほどのところに、同じく博物館の施設としてバーチャルと実体を組み合わせた水族館、潮境智能海洋館が開館しました。

学びのポイント

なぜ「海洋科学技術」をテーマとした博物館が?

台湾政府が「海洋国家」の旗をかかげるようになったのは2000年以降のことですが、今日では、そうした認識はすでに人々に広く共有されるものとなっています。いつの時代にも、台湾へ/台湾からの人や物の移動のルートとして、また豊かな恵みを生み出す空間として、海洋は台湾の人々にはかけがえのない存在でした。
さらに環境・生態保護、資源探索、気候変動などの観点からも、四方を海にかこまれた台湾にとって、海洋に対する関心の深化がきわめて重要であることは論を待ちません。博物館は、子ども向けの展示やイベントの開催にも熱心に取り組んでいます。

なぜ発電所の跡地に?

八斗子半島はかつては島でしたが、対岸との狭い水道を埋め立てて建てられたのが北部火力発電廠の前身の北部火力発電所です。博物館のウェブサイトや公式案内には、北部火力発電廠の歴史や、その跡地に博物館が建設されるにいたった経緯がくわしく記述されています。
主題館にもとくに発電廠関連の展示スペースがもうけられ、館外には発電機の台座が保存されています。これは、発電所があった場所にたまたま博物館ができたということではなく、重要な歴史的意義をもつ産業遺構にあらたな生命を付与するというコンセプトで博物館が設立されたためです。

冨田哲撮影

八斗子はどんなところ?

八斗子は清朝統治期に始まる漁村です。1979年に近代的かつ大規模な漁港が完成し、今日では台湾北部最大の規模をほこっています。ここで水揚げされた魚の多くは基隆の崁仔頂漁市で売りさばかれ、基隆廟口夜市でも食べることができます。
かつての八斗子の様子は、主題館から歩いて5分ほどのところにある区域探索館で知ることができます。なお、基隆市街からバスで博物館をおとずれる場合は、その名も台湾海洋大学のキャンパスをながめながら八斗子の町に入ることになります。
さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】【現地体験学習】海をこえて台湾へやってきた人々にまつわる物語は枚挙にいとまがありません。たとえば、先史時代、清朝期、1940年代後半にあった人々の台湾への移動について調べてみましょう。
  • 【事前学習】【事後学習】【現地体験学習】上述したように、台湾が海洋国家であると声高に言われるようになったのはそう昔のことではありません。なぜ海洋国家であるというアイデンティティが政策的に前面に打ち出されるようになったのだと思いますか。
  • 【事前学習】【事後学習】【現地体験学習】博物館のそばに台鉄(台湾鉄路管理局)深澳線の海技館駅があり、昼間はとなりの瑞芳駅から1時間に1本ほど便が設定されています。この路線の歴史を調べてみましょう。本サイトでも紹介している金瓜石などとともに、かつてこの地域で鉱業がさかんだったころの名残です。
参考資料
漢民族と海の関係で思いうかぶのが媽祖という神です。媽祖信仰については、赤松美和子・若松大祐編『台湾を知るための72章【第2版】』(明石書店、2022年)の木村自「第54章宗教―越境とグローバル化」や、四方田犬彦『台湾の歓び』(岩波書店、2015年)の第二部を参照してください。台東の東に浮かぶ蘭嶼島の先住民族タオ族の作家、シャマン・ラポガンの作品は、下村作次郎訳『大海に生きる夢』(草風館、2017年)などの日本語訳が刊行されています。
長栄(エバーグリーン)海運の創業者である張栄発の『張栄発自伝』(中央公論社、1999年)からは、台湾の海運業が国際舞台に乗り出していく時期の様子がよく伝わってきます。本サイトの淡江大学もご覧ください。

(冨田哲)

ウェブサイト
公式 https://www.nmmst.gov.tw/chhtml/

(中国語・英語)

所在地
基隆市中正区北寧路367号