山﨑直也氏提供

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莒光樓

莒光楼

国共内戦における金門の歴史を知る

1945年に日本が敗戦した後、中国の統治をめぐって中国国民党と中国共産党の内戦(国共内戦)が起こります。中国の厦門から最短で約2キロに位置する金門島は、重要な攻防の島となりました。代表的な戦いが1949年10月に大金門島の北側で勃発した古寧頭戦役です。国民党軍はこの戦いで勝利をおさめ、金門はその後中華民国の統治を受けることになりました。この戦役を始め、金門で戦った軍人を顕彰する建築物が莒光樓で、1952年に建てられ、2006年6月に金門県によって古蹟に指定されています。その3階からは、金門市街地や厦門などを見ることができます。

学びのポイント

戦後に建てられた独特なデザインの建築

島の歴史遺産(建築物は「古蹟」と「歴史建築」があります)は大きく、清王朝以前の中国の伝統文化に関わる建築物と、金門出身の華僑たちが金門にもたらした洋風建築物との二つに分けることができます(一部、国共内戦の戦跡に関わるものがあります)。しかし、莒光樓はこれらの建築物と全く異なる設計になっています。建物の上層部は宮殿を模した伝統的な中国式の建築、下層部は鉄筋コンクリートによる近代的な建築です。この両者が合体した独特なデザインが莒光樓の特徴です。戦後の建築で古蹟となっているのは、莒光樓のみです。

台湾と中国を結ぶ金門

金門は、国共内戦で争った島でした。しかし、現在は、台湾と中国を結ぶ重要な島になっています。国民党と共産党の対立が激しかった時代は、台湾と中国との間では手紙を出すことも直接行くことも、当然ビジネスをすることもできませんでした。第三国経由でしか往来できなかったのですが、台湾と中国の関係が深まるなか、その打開が図られました。そのスタート地点となったのが金門です。2001年1月から、金門とアモイの間は船で直接往来ができるようになりました。これは、「小三通」と言われます。その後、台湾と中国の間で直接往来ができる「三通」が開始されました。コロナ禍前まで金門の人々は対岸の厦門に買い物などに気軽に行き、経済、文化での関係を強めていました。金門は台湾と中国をどう結ぶかという観点から、今後も重要な場所です。

莒光楼から中国を望む(山﨑直也氏提供)

さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】[事前or事後学習]台湾の鉄道には、日本でいう急行列車に莒光号というものがあります。莒光とは、どのような意味を持っているでしょうか。
  • 【事前学習】【事後学習】[事前or事後学習]1945年以降、中国と台湾はどのような関係を結んできたでしょうか、調べてみましょう。
  • 【体験学習】[現地体験]金門のお土産や名産に何があるでしょうか。それらと金門の歴史とはどう結びついているでしょうか?
参考資料
台湾海峡をめぐる中国と台湾の争いについては、若林正丈『台湾―変容し躊躇するアイデンティティ』(ちくま新書、2001年)の第4章「『中華民国』の台湾定着」が参考となります。また、金門の最近の様子は、陳天璽「金門今昔」で知ることができます。金門島にある洋風建築については、辛永勝・楊朝景『再訪 老屋顔 台湾名建築めぐり』(エクスナレッジ、2019年)に代表的な建物が紹介してあります。

(上水流久彦)

ウェブサイト
台湾政府観光局https://www.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0001126&id=C100_224

(中国語)

金門観光旅遊(金門県政府観光処)https://kinmen.travel/ja/travel/attraction/83
所在地
金門県金城鎮賢城路1号