松葉隼撮影

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日月老茶廠

日月老茶廠

台湾紅茶の盛衰を物語るレトロな製茶工場

台湾中部南投県魚池郷にある日月老茶廠は、もともとは1959年に台湾農林公司が建設した紅茶工場です。2003年に現在の姿に生まれ変わり、無農薬や無添加にこだわった紅茶生産を行う拠点となっています。紅茶生産の見学や購入のほか、各種の体験ができます。60年以上前に建てられた工場は、開放的でレトロな雰囲気をたたえています。当時から使われている機械は、台湾紅茶の盛衰を見届けた生き証人です。

学びのポイント

山深い南投で育まれる台湾茶

台湾中部・南投県は台湾唯一の「海なし県」です。日本では海のない滋賀県に琵琶湖があるように、台湾の南投県には台湾第二の湖、日月潭があります(ただし、嘉義県にある第一位の曽文水庫は純粋なダム湖であるため、日月潭を最大の湖と紹介することもあります)。日月潭は先住民であるサオ族(Thau・邵族)の聖地、居住地であり、一方では日本統治時代から現在まで景勝地、観光地として開発がなされ、多くの観光客が訪れる場となっています。南投県の南端にそびえ、台湾最高峰として知られる玉山(標高3,952m)は、台湾最大の河川・濁水渓の水源地でもあります。山深く、自然に恵まれたこの地は標高が高く、降水量も多いことから、お茶の名産地としても知られています。一般に台湾茶といえば、凍頂烏龍茶や東方美人などが有名ですが、現在では「日月潭紅茶」も国内外の多くの人々に愛されています。

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台湾茶と台湾紅茶、そして日月潭の関係は?

台湾は古くから茶の産地として知られ、茶は長きにわたって台湾の重要な輸出品として知られてきました。しかし、台湾で紅茶が生産され、楽しまれるようになったのは比較的最近のことです。1860年、台湾の淡水、安平という港が外国との貿易を行う開港地に選ばれ、台湾が本格的に世界へと開かれます。その後、台湾は日本に領有されることになり、その統治機関として設けられた台湾総督府は、産業開発を試みます。そのひとつに選ばれたのが茶業でした。1902年、総督府殖産局は現在の桃園市内に栽培試験場を設置、同年にはやはり桃園市に製茶試験場も設置、これを機に、茶業が徐々に発展していきます。こうした総督府の知見をもとに、当時の三井財閥が台湾での本格的な製茶業に乗り出し、台湾北部の各地に農園を開きました。このとき生産や開発が試みられていたのは、烏龍茶や緑茶が中心でした。本格的に紅茶の研究開発、生産が始まったのは1920年代になってからです。1925年にはアッサム種を導入し、日月潭に近い魚池の地で紅茶の生産が始まりました。

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途絶えた台湾紅茶の灯と復活

1930年代に、台湾総督府は魚池での紅茶研究、開発を本格化し、生産を支援することになります。現在も国家機関として残る行政院農業委員会茶業改良場魚池分場は、1936年に台湾総督府中央研究所魚池紅茶試験支所として建てられたもので、紅茶の生産も行っていました。総督府だけでなく、民間企業も積極的に紅茶の生産を進めます。しかし、日中戦争と第二次世界大戦の本格化の中で、この地域での紅茶生産は縮小されることになります。  第二次世界大戦後、再びこの地域での紅茶生産が復活します。三井財閥の台湾における農林事業を引き継いだ台湾農林公司は、1959年に現在「日月老茶廠」として知られる工場をこの地に建設しました。  台湾紅茶の生産は、1950〜60年代に最盛期を迎えました。しかし、徐々にスリランカやインドなどの紅茶に押されるようになり、1970年代には台湾国内ではほとんど生産されなくなってしまいます。1999年に発生した九二一大地震では、この地域も少なからぬ被害を受けましたが、一方で政府による復興支援の中で再び紅茶に光があたります。1999年に開発された台茶18号「紅玉」は復興のシンボル、目玉商品として取り上げられ、この地域での紅茶生産がみたび復活することになりました。日月老茶廠は、台湾紅茶の盛衰を見守り続けた紅茶工場です。現在も当時の機械を利用して、無農薬や無添加にこだわった紅茶を生産しており、生産の様子を見学できるほか、紅茶を購入することができます。

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さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】日本や台湾、中国、欧米ではどのようなお茶が飲まれているでしょうか。
  • 【事前学習】【事後学習】台湾における製茶業の歴史について調べてみましょう。
  • 【現地体験学習】紅茶製造の機械、道具の実物を見て、その製造工程を理解しましょう。日本のお茶の木とどう違うか(それとも同じか)確認してみましょう。
参考資料
台湾の紅茶産業について、読みやすいものとしては、須賀努「台湾茶の歴史を訪ねる 第一回 (1)埔里の紅茶工場」(『交流』No. 913、2017年4月)、「台湾茶の歴史を訪ねる 第二回 (2)輸出された台湾紅茶」(『交流』No. 916、2017年7月)があります。 紅茶ではありませんが、包種茶を中心に日本統治時代の台湾における製茶業を論じたものとして、河原林直人『近代アジアと台湾:台湾茶業の歴史的展開』(世界思想社、2003年)があります。専門書ですが、チャレンジしてみましょう。桃園市の大渓にも紅茶工場があります。これについては、「大渓老茶工場」をご覧ください。

(松葉隼)

ウェブサイト
公式 https://www.assamteafarm.com.tw/

(中国語)

所在地
南投県魚池郷中明村有水巷38号