(台湾の)神社
日本は台湾統治を円滑に行うため、思想統制などの目的で各地に神社を建立した。その始まりは、鄭成功を祀る延平郡王祠を開山神社としたことである。1900年には現在円山大飯店がある台北市北部に台湾神宮が創建された。1931年以降、中国への侵略戦争が本格化するなか、神社の建設と参拝が強化される。1934年には神社設立を強化する通達が出され、ひとつの行政区にひとつの社を建立するという「一街庄一社」運動のもと、1930年代後半以降、神社の建立が促進された。終戦までに官立神社が68社建立され、その他に学校や会社などの敷地に設けられた神社もかなりあった。
日本の敗戦後は、中華民国のために戦い、亡くなった兵士らを祀る「忠烈祠」となった神社が多かった。高雄神社が廃止され、高雄市忠烈祠が建てられたのはその一例である。さらに、1972年の日本と中華民国との断交や1974年に政府から日本の帝国主義を示す建築物の破壊奨励が出されたことによって、旧神社の建物の多くが壊された。あるいは旧台中神社や屏東県の旧東港神社のように、跡地に孔子廟が設けられたこともあった。苗栗県の旧通霄(つうしょう)神社も忠烈祠となったが、現在は市民活動の展示場として活用され、台湾の宗教百景(台湾の宗教に関する風習・歴史を学べるスポット)にも選ばれている。また、台南の林百貨店の屋上ではかつての神社跡を見学できる。 現在も何らかの形で祭祀やそれに類する活動が行われている神社が数社ある。その一つが、観光スポットでもある桃園市の旧桃園神社である。この神社も破壊すべきか否かが議論されたものの、地域住民による保存運動によって1994年に古蹟に認定され、現在は往時の状態をほぼ保存する貴重な建築物となっている。長らく「桃園忠烈祠」と呼ばれていたが、2014年に「桃園忠烈祠及び神社文化園区」に改名されている。本殿は忠烈祠のままだが、日本統治期に社務所であった建物が現在は拝殿として活用されている。忠烈祠以外の空間は民間会社が市の委託でて運営しており、七五三や茅の輪くぐりが行われている。週末には縁日のように軽食屋やアクセサリー店などが並ぶ。日本の文化を大切に残すというよりも、日本に行かずとも日本の習慣を楽しめる場として、または単に面白い場所として賑わっている。

もっと知りたい方のために
金子展也「台湾で神社が多数造営されたわけ」https://www.nippon.com/ja/column/g00541/
西村一之「台湾東部における神のいない「神社」」上水流久彦編 『大日本帝国期の建築物が語る近代史: 過去・現在・未来 (アジア遊学 266) 』勉誠出版、2022年
黄心宜「台湾における神社の位置づけについてー苗栗県通霄神社を事例としてー」『文化交渉 東アジア文化研究科院生論集』9、2019年
内政部「台湾宗教百景 通霄神社」https://taiwangods.moi.gov.tw/html/landscape_JP/1_0011.aspx?i=36
