総督府(台湾総督府)

松葉隼

(行政組織・機構としての)総督府

台湾総督府は、台湾が日本の統治下に置かれた1895年から1945年まで設置された行政官庁。初期には軍人が総督となり、総督は法的な効力を持つ命令(律令)を制定できるなどの強い権限をもち、ソフト・ハード面から強力に統治システムを構築していった。日本国内で政党政治が発展すると、非軍人が総督に就任し(戦時期には再び軍人が就任した)、法令も日本国内法を適用する体制が構築された。総督府には、内務、財務、警務などの内局と交通局、専売局などの外局が設けられ、台湾の地方行政機関を統制した。総督府は警察を中心として台湾全土に統治を行き届かせるとともに、主に教育を通じて台湾の人々の「日本化」を推進した。日本の敗戦により台湾は一転して中華民国の領土となった。中華民国では1947年に中華民国憲法が発効、これにもとづき翌年に蔣介石が総統に選出された。1949年に中華民国政府が台湾に移転し、総統の執務場所として旧総督府が選ばれ、1950年に総統府と改称され現在に至っている。

(建築としての)総督府・総統府

総統府は台北市重慶南路一段122号にある、赤と白のコントラストが鮮やかな近代建築。1919年に台湾総督府として竣工し、現在は中華民国総統府として使用されている。台湾総督府はもともと、清朝の官庁である布政使司衙門の跡地に置かれていた(現在その地には、中山堂〈もと台北市公会堂〉がある)。業務拡張により次第に手狭となり、老朽化も著しかったため、1905年から本格的に移転の検討を始め、1906年から07年にかけて2度にわたってコンペと審査が行われた。その結果一等賞は出ず、二等に選ばれた長野宇平治の案を基に、総督府技師の森山松之助が修正設計を行った。森山は、中央の塔屋について原案よりも高く、目立つものに変え、台湾統治を象徴する建築物としての威容を強調した。外見は赤レンガを中心に、白い化粧石が用いられ、東京駅などの辰野金吾設計の建築物に通じるデザインとなっている。1945年の空襲で一部が損壊したが、台湾が中華民国に「接収」された後も政府機関として使用された。1946年には蔣介石の60歳の誕生日を記念して「介壽館」という名称が与えられた。1950年には正式に総統府となり現在に至っている。1998年、国定古蹟に指定。

もっと知りたい方のために

・西澤泰彦『植民地建築紀行 満洲・朝鮮・台湾を歩く』吉川弘文館、2021年(POD版)
・黄昭堂『台湾総督府』ちくま学芸文庫、2019年
・台湾修学旅行アカデミー by SNET台湾 「第6回 建築物から知る台湾」(講師:上水流久彦)
 

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