七股鹽山 七股塩山

製塩業の歴史から台南地域を知ろう

台南市政府観光旅遊網図庫系統 王素滿撮影

七股塩山の入り口に近づくと、6階建てビルほどの高さの真っ白な山が見えてきます。南国台湾にまさかの雪山? 実はこれ、すべて塩です。ここは、かつて一面に塩田が広がる台湾最大の製塩場でした。しかし、天日干しによる製塩法は時代とともに衰退し、2002年に塩田は閉鎖。その後、観光地として整備され、現在は塩のテーマパークとして人気を集めています。園内には遊園地も併設、レストランでは「塩コーヒー」や「塩アイス」などのメニューも楽しめます。また、隣接する台湾塩博物館は、白いピラミッドのようなユニークな建築物。館内では台湾の塩業に関する資料の展示を見るだけでなく、世界の塩業に関する知識を得ることもできます。

学びのポイント

なぜ台南地域に塩田ができたのですか?

伝統的な製塩法では、瓦や壺の破片や土砂を敷き詰めた池で、何日もかけて海水を天日で干し、塩の結晶を作ります。そのため塩作りには、海に面した広大な土地と強い陽射しが必要でした。かつて台南地域の沿岸部には、海面と地面との高低差が少ない干潟のような土地が広がっていました。また、台湾南部は日照時間が長く気温の高い亜熱帯気候です。こうした台南の土地と自然条件が、塩田をひらくのに最適だったのです。

台南市政府観光旅遊網図庫系統 陳威宏撮影

台湾の製塩業はどんな歴史をたどったのですか?

台湾では17世紀から塩作りが始まりました。清朝統治期の1726年に食塩は専売制となり、1895年以降の日本統治期には、いったん自由化されたものの、1899年にあらためて専売制度が施行されました。20世紀に入ると、神戸の商社「鈴木商店」の傘下にあった大日本塩業株式会社などが台湾に進出、台南の安平は日本内地へ送る塩の集荷拠点として発展しました。戦後は、1952年に「台湾製塩総廠」が設立され、製塩業は国営事業となりましたが、2002年に民営化され、今日に至っています。

台湾の現在の製塩業は?

私たちの生活に欠かせない塩。どんな時代でもその国の発展を支えるための重要な物資とされてきました。しかし台湾でも、伝統的な製塩法は現代的な製塩技術に取って代わられ、その多くを海外からの輸入に頼るようになりました。近年は海の水質汚染など環境問題もあいまって、かつてのような広大な塩田風景を見ることはできません。そこで現在、台南市北門区にある「北門井仔脚瓦盤塩田」では、塩田を復活させ古来の手法で塩作りをおこなっています。地域の歴史と文化を継承するための試みのひとつといえるでしょう。

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】【事後学習】日本の伝統的な製塩法を調べてみましょう。
  2. 【事前学習】【事後学習】日本統治期(1895-1945)の台湾塩業の歴史について調べてみましょう。
  3. 【事前学習】【事後学習】『鈴木商店記念館』を参考にかつての鈴木商店の台湾における事業展開について調べてみよう。

参考資料

七股塩山と北門井仔腳瓦盤塩田については、一青妙『台南 「日本」に出会える街』(新潮社、2016年)が、写真とエッセイで触れています。

(胎中千鶴)

ウェブサイト
公式https://cigu.tybio.com.tw/ 交通部観光局https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003016&id=3426 台南旅遊網(台南市政府観光旅遊局)https://www.twtainan.net/ja/attractions/detail/4991
所在地
台南市七股区塩埕里66号