噍吧哖事件紀念園區 タパニー事件紀念園区

漢人系住民による最大かつ最後の抗日武装闘争の記念園

台南市政府観光旅遊網図庫系統 吳玉麟撮影

日本統治時代の1915年、台南市の玉井を中心に武装抗日事件が起こりました。タパニー事件(西来庵事件)と呼ばれています。2015年にタパニー事件100周年を記念して「噍吧哖事件紀念園区」が玉井につくられました。日本統治時代に玉井製糖工場招待所として建てられた木造建築が改修され、事件に関する展示が行われています。玉井はマンゴーの産地としても有名です。マンゴーの季節は6~9月頃ですが、この時期には噍吧哖事件紀念園区の近くの青果市場で多種多様なマンゴーが見られます。玉井の街中にはマンゴーかき氷が食べられる店もたくさん並んでいます。

学びのポイント

玉井はどんな所ですか?

玉井は台南駅前からバスで1時間ほど行った山地に位置しています。ここは本来、「噍吧哖」という地名で、台湾語では「タパニー(タバニー)」と発音します。台湾が日本の植民地となった後、日本人が「タパニー」という発音を聞いて、それに近い「玉井」と改めました。現在の地名も玉井ですが発音は異なり、中国語で「ユージン」といいます。この地にはもともと先住民族が住んでいましたが、清代に漢人社会となりました。日本統治時代には製糖業が行われていましたが、戦後の1960年代からマンゴーの品種改良が進められ、マンゴーの産地として有名になりました。

台南市政府観光旅遊網図庫系統 徐一夫撮影

タパニー事件とは何ですか?

日清戦争が終わった1895年、日本は清と下関条約を結び、台湾が割譲されました。しかし、台湾の人々にとっては寝耳に水で、日本の支配に抵抗する動きが各地で起こります。日本側はこうした抵抗運動の参加者を「土匪」と呼んで徹底的に弾圧を加えました。そうした中、余清芳という人が台南市内の西来庵を拠点として抗日運動の計画を練っていましたが、1915年に警察に発覚し、関係者が次々と逮捕されました。余清芳は部下を率いて玉井(タパニー)を攻撃し、日本の警察や軍隊と激しい戦闘を繰り広げました。これは漢人系住民の武装抗日運動としては最大にして最後のものです(ただし、1930年には先住民族のセデック族が霧社事件を起こします)。

タパニー事件の結果はどうなりましたか?

余清芳の軍勢は結局、持ちこたえられず、300人余りの戦死者を出し、残った者の多くは捕虜になりました。日本軍は報復のため、おびただしい捕虜や現地住民を虐殺したと言われています。事件の関係者に対しては台南臨時法院で裁判が行われ、被告は1957名という人数にのぼりました。二ヶ月後に出された判決は、死刑866名、懲役刑453名、行政処分及び不起訴544名、無罪86名、その他8名という過酷なものでした。これには日本国内の世論からも批判を受け、一部は減刑されましたが、それでも余清芳を含む100名以上が処刑されました。タパニー事件後、台湾での抗日運動は合法的な政治運動へと転換していきます。

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】日本統治時期の主な抗日事件について調べてましょう。
  2. 【事前学習】【事後学習】日本の植民地支配の中でタパニー事件はどのような意義を持つのか、考えてみましょう。
  3. 【事前学習】【事後学習】玉井はマンゴーで有名ですが、台湾各地にはそれぞれ有名な農産品があります。どのようなものがあるのか、調べてみましょう。

参考資料

タパニー事件については、周婉窈『増補版 図説 台湾の歴史』(濱島敦俊監訳、石川豪・中西美貴・中村平訳、平凡社、2016年)の「本篇 第8章 二大抗日事件」を読むといいでしょう。タパニー事件と霧社事件とを取り上げ、事件の経過と背景が簡潔に整理されています。

(黒羽夏彦)

ウェブサイト
公式https://tapanipark.culture.tainan.gov.tw/tw 台南旅遊網(台南市政府観光旅遊局)https://www.twtainan.net/ja/attractions/detail/4937
所在地
台南市玉井区樹糖街22号