打狗英國領事館文化園區 打狗英国領事館文化園区

台湾と世界とをつなぐ窓口、美しいレンガ造りの洋館

大東和重撮影

小さな漁村だった高雄は、19世紀半ば、清朝が西欧列強と結んだ不平等条約によって、海外へと開かれた貿易港となります。日本統治期には南部の重要な港湾都市として整備され、日本人の多く住む町となりました。港としての高雄の歴史を語る施設が、「前清打狗英国領事館」です。赤いレンガ造りの洋館は、高雄港の入口に臨む丘の上に建ち、高雄が台湾と世界とをつなぐ窓口となった時代を語ります。

学びのポイント

国際貿易港のあかし

1840年に始まるアヘン戦争以来、清朝は英国をはじめとする列強の侵略を受けます。1858年に結ばれた天津条約によって、高雄は開港を迫られました。「前清打狗英国領事館」の「打狗(ターガウ)」とは、高雄の古い名で、日本統治期に雅な漢字を当てて「高雄(たかお)」と改名しました。英国が領事館として1866年に建てた赤レンガの建築は、港町の発展を知る絶好の史跡となっています。

台湾の港町

台湾は海に囲まれた島なので、各地に港があります。高雄と並ぶ北部の代表的な港が基隆ですが、高雄も基隆も、港として大きく発展したのは、19世紀の国際貿易港としての開港以降です。それまでは、北部では台北に近い淡水、中部では彰化に近い鹿港、南部では台南に近い安平の三つの港が、中国大陸や海外との貿易で栄えました。これら三つの港は、土砂の堆積や船舶の大型化とともに没落します。高雄に目をつけた英国はさすがで、港としての将来の発展を見抜いていました。

大東和重撮影

国立中山大学と夕日の名所「西子湾」

英国領事館からの帰りは、西側へ降りてみましょう。すぐ北に、高雄の誇る国立中山大学があります。南部屈指の名門校で、海に面したキャンパスは、いかにも南国らしい雰囲気にあふれています。中山大学から南にかけての沿岸の一帯は、「西子湾」という風光明媚な浜辺。夕日の沈む時間は散策する若者たちでいっぱいです。北回帰線の南にある台湾南部では、夕日がことのほかきれいです。

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】【事後学習】19世紀の清朝と西洋列強の関係について歴史を調べてみましょう。
  2. 【事前学習】【事後学習】高雄の湾岸のコンテナ取扱量とその推移を、国土交通省のウェブサイト「世界の湾岸別コンテナ取扱個数ランキング」を見て、日本や世界と比べてみましょう。
  3. 【現地体験学習】 英国がなぜこの場所に領事館を設けたのか、地理的な要因を分析してみましょう。

参考資料

19世紀の清朝と西洋列強の関係については、吉澤誠一郎『清朝と近代世界 19世紀』(シリーズ 中国近現代史 1、岩波新書、2010年)があります。高雄に限定した旅の案内には、哈日杏子『GO!GO!高雄 捷運で南国台湾を楽しもう』(まどか出版、2010年)があります。南部の街を歩くガイドとしては、地球の歩き方編集室編『台南 高雄 とっておきの歩き方 台湾南部の旅ガイド』(ダイヤモンド・ビッグ社 、2017年)が使いやすいです。

(大東和重)

ウェブサイト
交通部観光局https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003121&id=4988 高雄旅遊網(高雄市政府観光局)https://khh.travel/Article.aspx?a=6842&l=3&stype=1058&sitem=4113
所在地
高雄市鼓山区蓮海路20号