鼓山洞 鼓山洞

日本軍の埋蔵金が埋まった秘密基地? 観光資源となった防空壕

倉本知明撮影

鼓山洞は、高雄市鼓山区寿山の麓に造られた巨大な防空壕の跡地です。かつて日本軍の南方進出の拠点とされ、数多くの軍事施設が建設された高雄には、アメリカ軍の空襲に備えて市内各所に200を超える防空壕が建設されました。鼓山洞はそんな防空壕の一つです。鉄道員の避難用に建設された防空壕は高さ3メートル、幅2.5メートル、長さ200メートルで、蒲鉾のような半円形に造られています。戒厳令時代には政治犯を尋問、拘束する場所としても使用されており、美しい自然の造形のなかに人間の残酷さが同居しています。迷路のように入り組んだ壕は現在寿山動物園がある山上へつながっていますが、64段ある避難階段は長い歳月を経て一面鍾乳石に覆われ、現在使用不可能になっています。

学びのポイント

日本統治時代、なぜ高雄に多くの防空壕が建設されたのか?

帝国日本の南進基地とされていた台湾南端に位置する高雄には、製油や造船、鉄鋼やセメントなどの工場が数多く建設され、さらに海軍基地や飛行場が建設されていたために、戦争中はアメリカ軍の主要な攻撃目標となりました。市内には第二次世界大戦を通じて2559トンもの爆弾が落とされ、死傷者が4000名を超えるなど、台湾で最も大きな被害を受けた都市でした。空襲による被害を軽減する目的で高雄市内には多数の防空壕が建設され、その跡はいまでも随所で目にすることができます。2018年には、第二次世界大戦下の高雄を舞台にしたボードゲーム『高雄大空襲』が発売されましたが、そこでは異なる種族、民族、宗教のプレイヤーたちの「生存」がテーマになっています。このボードゲームは、台湾の人気ロックバンド滅火器が主題歌「一九四五」を歌ったことでも話題となりました。

倉本知明撮影

鼓山洞はなぜ一般公開されたのか?

日本統治時代、鉄道員たちの避難用に造られた鼓山洞は、戦後台湾警備総司令部に接収され、外部から断絶されたその密閉空間を利用した政治犯の抑留、拘禁などに使われた暗黒の歴史もあります。1987年に戒厳令が解除されると、鼓山洞は高雄市警察局の管理となりましたが、長年忘れられた存在となっていました。ところが、2019年に当時の高雄市長韓国瑜が観光振興を目的として、市内に残る軍事施設を観光資源として活用することを提唱したために、鼓山洞も一般公開されることになりました。同市長は、鼓山洞をはじめとする高雄各地に残る防空壕跡地に日本軍が隠した金銀財宝が埋まっているかもしれないと発言し、大きな話題になりました。

倉本知明撮影

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】【事後学習】戦前、高雄にどうして多くの重工業施設が建造されたのか調べてみよう。
  2. 【事前学習】【事後学習】アメリカ軍の空襲を受けた高雄では、どんな被害があったのか調べてみよう。
  3. 【現地体験学習】当時アメリカ軍の空襲に遭った台湾の人たちにの様子について、鼓山洞の案内スタッフに尋ねてみよう。

参考資料

台湾の空襲被害とその対策について論じた書籍や論文の多くは中国語で出版され、日本語の書籍や資料で手に入るものは限られています。戦争当時の高雄を知る手段としては、やや専門的ですが、やまだあつし「植民地時代末期台湾工業の構造―国民党の接収記録を利用して―」(『人文学報』、1997年)などに詳しく書かれています。また空襲そのものを論じたものではないですが、戦争中の台湾の社会を論じたものとしては、周婉窈『補強版 図説台湾の歴史』(平凡社、2007年)などが比較的分かりやすく書かれています。台湾人の戦場体験としては、陳千武『台湾人元日本兵の手記 小説集「生きて帰る」』(明石書店、2008年)が、銃後の体験としては、保坂治男『台湾少年工 望郷のハンマー ――子ども・市民と学ぶこの町の「戦争」と「平和」』(ゆい書房、1993年)などがあります。先述したロックバンド滅火器が歌う、ボードゲーム「高雄大空襲」の主題歌「一九四五」のMVは、YouTubeで視聴可能です。

(倉本知明)

ウェブサイト
高雄旅遊網(高雄市政府観光局)https://khh.travel/zh-tw/attractions/detail/1144

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所在地
高雄市鼓山区鼓山一路53巷111号
特記事項
参観には事前予約が必要で、一回の参観で40名までとなっています。