原日本海軍鳳山無線電信所 元日本海軍鳳山無線電信所

廃墟に隠された「反逆者」たちの嘆き

倉本知明撮影

清朝時代に建立された廟や寺院が林立する高雄市鳳山区には、細かい路地が網の目のように広がっています。線香の煙でけぶる迷路のような街並みを歩いていると、突然視界の開けた場所が現れます。元日本海軍鳳山無線電信所は、1917年に日本海軍によって建設された無線電信所跡地で、日本三大無線電信所の一つとされていました。戦後は中華民国海軍に接収され、鳳山海軍招待所、海軍明徳訓練班と名前を変えながら、白色テロ時代には中華民国海軍内の政治・思想犯を拘束、尋問する場所としても機能していました。マンゴーが生い茂る 敷地内には南国特有のゆったりとした空気が流れていますが、随所に時代の「反逆者」たちを拘束していた施設が半ば廃墟となって残され、激動の歴史を感じることができます。

学びのポイント

無線電信所がある鳳山はどんな場所?

鳳山区は清朝時代から発展した古い街で、現在でも多くの廟や寺院が残されています。鳳山天公廟や鳳山鳳邑城隍廟といった道教寺院だけでなく、鳳山長老基督教堂といったキリスト教教会、高雄のイスラム教徒たちが参拝する高雄清真寺など、多くの宗教施設が集まっています。また、無線電信所近くには中華民国陸軍士官学校があって、軍服を着た若い士官たちの姿を目にすることができます。士官学校のすぐ隣には、台湾で最初に建設された眷村で、現在は文化保存区域に指定されている黄埔新村などもあります。

倉本知明撮影

元日本海軍鳳山無線電信所にはどのような人たちが拘束されていた?

戦後、鳳山海軍招待所、海軍明徳訓練班と名前を変えてきた元日本海軍鳳山無線電信所ですが、時期によってそれぞれ異なった性格を持っています。国共内戦がいまだ熾烈を極めていた鳳山海軍招待所時代(1949-62年)には、中華民国海軍が中国共産党に投降する事件が相次いで起こっていたこともあり、海軍内部の政治・思想犯を監禁、尋問する役割を担っていました。明徳訓練班時代(1962-2001年)になると、海軍内部の規律違反者や落ちこぼれたちを「再教育」する場所として機能していましたが、どちらにせよ、当時の政府にとって都合の悪い人たちを閉じ込めておく場所であったわけです。その後、2010年には国指定の古跡と認定され、現在はかつての歴史を知る重要な歴史遺産となっています。

倉本知明撮影

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】【事後学習】無線電信所はどんな場所だったかを調べ、鳳山以外に建設された日本三大無線電信所の場所とその役割を比較してみよう。
  2. 【事前学習】【事後学習】白色テロ時代に、台湾ではどんな人たちがどんな罪状で逮捕、拘束されたのか調べてみましょう。
  3. 【現地体験学習】敷地内をめぐって、かつて政治・思想犯や軍規違反者たちがどんな生活をしていたのか調べてみよう。

参考資料

残念ながら、元日本海軍鳳山無線電信所そのものに関する日本語の書籍はいまのところありませんが、白色テロに関する書籍や映画などは、日本でも比較的入手が容易です。白色テロの歴史的背景に関しては、周婉窈『補強版 図説台湾の歴史』(平凡社、2007年)や、赤松美和子、若松大祐編『台湾を知るための60章』(明石書店、2016年)などに詳しく書かれています。また映画など、映像で見たい場合には、侯孝賢監督の『悲情城市』(1989年)をはじめとして、ホラーゲームから生まれた徐漢強監督の映画『返校』(2019年)などが有名です。小説については、邱永漢『香港』(近代生活社、1956年)、胡淑雯『太陽の血は黒い』(あるむ、2015年)、葉石涛『台湾男子簡阿淘』(法政大学出版局、2020年)などに詳しく書かれています。

(倉本知明)

ウェブサイト
高雄旅遊網(高雄市政府観光局)https://khh.travel/Article.aspx?a=6395&l=3&stype=0&sitem=6981
所在地
高雄市鳳山区勝利路10巷