博物館外観(清水美里提供)

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臺南山上花園水道博物館

台南山上花園水道博物館

台南の旧浄水場が植物の楽園として再生

旧浄水場と植物アートの博物館です。台南の水道網は1912年に建設が始まり、1922年に完成しました。1982年に山上浄水場はその役割を終え、2010年代に修復作業が進められ、2019年に博物館として開館しました。敷地は花園区と密林区、博物館区、浄水池区の4つに分かれています。そのうち博物館区は旧浄水場の建物をそのまま利用した展示空間です。浄水池区は他のエリアとは少し離れたところにあり、内部はコウモリの生息地のため、外観のみ見学可能です。

学びのポイント

熱帯地域に衛生的な水を供給するために

亜熱帯〜熱帯地域である台湾では、感染症対策として、衛生的な水の管理が非常に大切でした。台湾では先に下水道が整備され、その後に上水道の整備が始まります。古都台南にも上水道の必要性が生じ、1922年にこの山上浄水場が完成しました。曽文渓からポンプでくみ上げた水を沈殿池と急速ろ過装置室で浄化し、再度ポンプで高台にある山上浄水池に上げて貯水します。そこから重力を利用して平地の市街地へ水道水を行き渡らせるという、最小限のエネルギーで最大限の効果を狙った水道システムでした。1952年には急速ろ過池室が増設され、戦後の人口増加に対応しています。その後、他の浄水場が整備される1982年までの60年間、台南の人々に水を供給し続けたのです。

博物館の内部(1)(清水美里提供)

浜野弥四郎とは?

浜野弥四郎(1869-1932)はお雇い外国人ウィリアム・キニンモンド・バルトン(William Kinninmond Burton 1856-99)の弟子で、帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)を卒業後、1896年にバルトンとともに台湾に渡って上下水道の整備事業に従事しました。バルトン亡き後も、台湾の水道事業の第一人者として活躍しました。台南水道も浜野の仕事の一つです。その功績により、浜野が台湾を離れたのちに、技術者の同僚たちが彼の胸像を建てました。現在館内にある浜野の胸像は近年製作されたものですが、その台座は当時のものです。

博物館の内部(2)(清水美里提供)

さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】日本の水道の歴史を調べ、台湾と比較してみよう。
  • 【事前学習】【事後学習】かつて台湾では水を感染源とするチフス、コレラ、赤痢などの感染症がしばしば流行していました。また、蚊が媒介するマラリアが猛威を振るっていました。これらの感染症対策としてどのようなことが行われていたのかを調べてみましょう。
  • 【現地体験学習】博物館のあるエリアには様々な植物が植えられています。白玉蘭や琉球松、熱帯地域独特の植物を観察してみましょう。
参考資料
稲場紀久雄『バルトン先生、明治の日本を駆ける! 近代化に献身したスコットランド人の物語』(平凡社、2016)に浜野弥四郎も登場します。さらに専門知識を深めたい方は、村田省一「植民地時期台湾における住民の地方行政参加―植民地時期後期の地方水道建設事業を例にして―」『現代中国研究』29号2011年(https://spc.jst.go.jp/cad/literatures/4403)を読んでみてください。

(清水美里)

ウェブサイト
公式ウェブサイト https://waterworks.tainan.gov.tw/index.php (中・英)
所在地
台南市山上区山上里山上16号
休館日:水曜