労働女性紀念公園(倉本知明提供)

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勞動女性紀念公園

労働女性紀念公園

戦後台湾の経済発展を支えた女性労働者たちに想いを馳せる

1973年9月3日、高雄市の南西の島、旗津から市内へ向かう連絡船「高中六号」が沈没し、高雄の輸出加工区に出勤途中だった若い女性労働者25名が亡くなりました。台湾の民間習俗では、死亡した未婚女性は一族の墓に埋葬できないとされていたため、市政府と遺族が協議して、二十五淑女公墓が建立されました。その後、墓にまつわる心霊現象などの「都市伝説」が多く生まれたことが問題視されるに至りました。2004年からは高雄市女性権益促進会が、台湾の経済発展への女性労働者の貢献を再評価すべきだと呼びかけました。その結果、2008年に二十五淑女公墓は労働女性記念公園と改名され、以後毎年の記念活動が行われるようになりました。この公園を訪れることで、戦後の経済発展期における女性労働者の役割、さらに2000年代以降のジェンダー平等や労働者の権益保護に向けた道のりと社会の変化についても理解することができます。

学びのポイント

経済発展と女性労働者たちの犠牲

台湾の工業化は1960年代に急速に進展し、第一次産業と第二次産業の割合が逆転することで、労働力の構成が大きく変化しました。戦後の台湾経済を牽引したのは輸出加工業です。1966年12月に初めて高雄に輸出加工区が設置され、1973年には同輸出加工区の雇用労働力数は5万2209人とピークに達しました。同年9月3日の早朝、旗津から市内に向かう連絡船は定員超過と故障が重なって沈没しました。25名の犠牲者は全員が高雄輸出加工区で働く女性でした。近年、高雄市女性権益促進会の調査で明らかになったように、亡くなった女性たちの多くが兄弟姉妹の中の長女でした。弟たちの勉学費用や家計を支えるため、彼女らは中学校卒業後すぐに働かなければならなかったのです。最年少の犠牲者は13歳の女子でした。当時は最低就業年齢の16歳に満たない場合、他人の身分証を借用して年齢を偽ることがありました。雇用側も経費軽減のため、故意に不正を見逃すこともしばしばでした。また、無遅刻で皆勤すると奨励金がもらえる制度があり、それが女工たちの給金に占める割合は少なくありませんでした。このことは、遅刻を避けたい女工たちが無理に連絡船に乗り、定員超過を引き起こしたと指摘されています。

1960年代、高雄の加工区に出勤する女性たち(高雄市婦女新知協會提供)

社会の因習と都市伝説による歪な眼差し

通勤時間になると加工区のゲートが徒歩や自転車の若い女性たちであふれる風景は、1960〜1970年代の経済発展を象徴していました。経済的余裕のない家庭は、すべての子どに教育を受けさせられず、男尊女卑の考えもあったことから、男子の教育を優先させました。このため、進学の機会に恵まれない女性たちは、若いころから働きに出ることを余儀なくされました。さらに、水難事故で犠牲になった彼女たちは未婚だったため、埋葬に際しても一族の墓に入れてはいけないという古い因習の犠牲になりました。結局、市政府と遺族が協議した末に、二十五淑女公墓という永眠の地を得ましたが、今度は「墓に近づくと車やバイクが故障する」、「霊に取り憑かれる」といった都市伝説が流布されるようになりました。女性たちの犠牲を台湾の経済発展という大きな歴史の流れに照らして理解する試みは、2000年代を待たなければなりませんでした。

1960年代、縫製工場で働く女性たち(高雄市婦女新知協會提供)

ジェンダー平等と労働人権の意識向上

高雄市女性権益促進会による問題提起が実り、2006年、台湾政府直轄の国家文化総会は台湾の経済発展に対する女性労働者の貢献を再評価し、現地を「台湾女性文化地標」(ランドマーク)の一つとして登録しました。2008年、市政府はそれまでの都市伝説を払拭すべく、現地を整備したうえ、労働女性記念公園と改名しました。ジェンダー平等と労働者の人権に対する意識の向上を図り、さまざまな取り組みを行ったのです。公園が新たに出発する当日、当時の高雄市長であった陳菊は女工たちの遭難時の航路をたどり、船上から慰霊の意を表しました。碑の除幕式には石油、造船、鉄鋼業などの大企業からの代表を招き、「労働安全宣言」に署名、同園をジェンダー平等と労働者の人権への理解を深めるため施設として明確に位置付けました。高雄市女性権益促進会や研究機構は、遺族への聞き取り調査やドキュメンタリー映像の制作を行い、事故の真相解明にも努めてきました。高雄市では毎年9月に慰霊祭や記念活動が開催されています。

1960年代の電子工場のようす(高雄市婦女新知協會提供)

さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】比較ジェンダー史研究会による学習サイト「ジェンダー視点で歴史を読み替える」の「工業化と労働のジェンダー化」を読み、高校世界史の教科書に取り上げられた工場での労働と女性の問題を考えましょう
  • 【現地体験学習】Googleマップなどの高雄市の地図を利用して沈没した「高中六号」の航路、女性労働者が旗津の中洲渡船場から対岸の高雄輸出加工区まで通勤していたルートを確認しましょう。
  • 【事後学習】日本近代産業史の名著、山本茂実『あゝ野麦峠―ある製糸工女哀史』(角川文庫、1977年)を読み、ジェンダーと労働者の人権の視点から近代以降の産業発展について考えましょう。
参考資料
台湾の輸出加工区に関する文献は、石田浩「台湾の輸出加工区政策の意義と課題--輸出加工区と工業区の分析を通じて」(『現代台湾研究』(22)、2001年、127-148頁。)、劉進慶「台湾輸出加工区の分析」(藤森英男編『アジア諸国の輸出加工区』アジア経済研究所、1978年)があります。台湾女性労働者に関する文献は、張晋芬「戦後の経済発展と女性労働者」「性別職域分離」(台湾女性史入門編纂委員会編訳『台湾女性史入門』人文書院、2008年、96-99頁)、黄富三著、石田浩監訳『女工と台湾工業化』(交流協会、2006年[原書は1977年出版])が参考になります。また、台湾語音声ですが、台湾公共テレビ台湾語チャンネルが制作した「【査某人的跤跡】EP6 勞動女性紀念公園―高雄廿五淑女墓的重生」は、映像だけでも十分に理解を深められるおすすめの一本です。

(洪郁如)

ウェブサイト
高雄市旗津区公所(中国語) https://cijin.kcg.gov.tw/cp.aspx?n=61D27E8F778A8EC4&s=A3D8F8FACC0313B8 高雄旅遊網(日本語) https://khh.travel/ja/attractions/detail/575
所在地
高雄市旗津区旗津三路