紀念館入り口の葉石濤ご夫妻の写真。鳳気至純平提供

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葉石濤文學紀念館

葉石濤文学紀念館

初めて台湾文学史を著した作家の足跡をたどる

葉石濤文学紀念館は、台南に生まれ育ち、戦後一度は政治犯として投獄されながら、文学創作を続け、また台湾文学研究の第一人者となった葉石濤の功績を記念して、2012年に台南市の中心部中西区にオープンしました。建物は1925年に山林事務所として創建されたもので、現在は市定古跡に指定されています。二階の展示室には、葉が実際に使っていた机や文房具、レコードプレイヤーが展示され、また隣の客間を模した空間では、葉の作品や文学仲間との私信等を見ることができます。一階はカフェになっていて、葉の文学をモチーフにしたメニューが楽しめます。館内を観覧した後、コーヒーなどを飲みながら台南が生んだ偉大な文学者の姿を偲ぶのもよいかもしれません。

学びのポイント

葉石濤って誰?

葉は日本統治時代の1925年に生まれ、2008年に84歳で亡くなりました。裕福な家庭に育ち、早熟な文学青年であった葉は、当時の国語(日本語)を通じて世界各地の文学作品を読み漁り、10代で作品創作を始めます。戦後は新たな国語(中国語)の習得に苦労しますが、それでも小学校教員をしながら、中国語による創作の可能性を模索します。しかし、1953年、政治犯として懲役の実刑判決を受けます。釈放後も様々な困難に遭いながら文学創作を続け、また同時に当時はほぼ未開拓の分野であった「台湾文学」の研究に着手、1987年には『台湾文学史綱』を刊行します。晩年は、成功大学の大学院で台湾文学を教え、自らの豊富な経験をもとに後進の指導に当たりました。

葉石濤銅像(鳳気至純平提供)

葉石濤書斎(鳳気至純平提供)

台湾文学って?

「未開拓の分野であった台湾文学」というフレーズを見て、不思議に思うかもしれません。台湾の文学は、日本統治時代にあっては日本文学の一部である外地文学や植民地文学として、戦後中国の正統な後継者を自認する国民党政権下においては、中国文学の一部として扱われ、戦前戦後を通じて台湾文学は独立した一分野として認められませんでした。象徴的なのは、台湾の大学で「台湾文学」の名前が冠された学科が設立されたのは20世紀も終わりを迎えるころだったことです。かつて台湾では台湾文学史が書かれたことはありませんでした。葉の『台湾文学史綱』は初めて、作者の出身、国籍を問わず、台湾で書かれ、台湾を題材とした作品を網羅したもので、民主化、台湾化が進む中、文学の分野で台湾の主体性を追求、実現した記念碑的作品なのです。

紀念館入り口(鳳気至純平提供)

紀念館外観(鳳気至純平提供)

さらに学びを深めよう
  • 【事前学習・事後学習】「おうちで楽しもう台湾の博物館 第6回 国立台湾文学館」の冒頭の解説を見て、台湾文学の概要を整理してみましょう。
  • 【現地体験学習】葉石濤の小説には、台南を舞台としたものが多くあります。葉が「夢想、仕事、恋愛、結婚、のんびり暮らすのに最高の場所」と形容した台南の街を散策、作品に登場する場所を探してみるのも面白いかもしれません。記念館のガイドマップが参考になります。
  • 【事前・事後学習】葉のように、戦前戦後の国語転換(日本語から中国語)に苦労した台湾人作家は、ほかにもいます(台湾では「跨語作家」といいます)。SNET台湾YouTubeチャンネル「台湾修学旅行アカデミー by SNET 台湾 第13回 台湾の文学」を見て、台湾における「国語」の歴史、「跨語作家」について調べてみましょう。
参考資料
日本語作品のうち、日本統治時代に発表された「林からの手紙」、「春怨――我が師に」は、中島利郎・河原功・下村作次郎・黄英哲編『日本統治期台湾文学 台湾人作家作品集』(緑蔭書房、1999年、第五巻(諸家合集))で読むことができます。代表作『台湾文学史綱』は『台湾文学史』として、詳細な注釈つきで刊行されています(中島利郎、澤井律之訳、研文出版、2000年)。また2020年に葉の自伝的小説『台湾男子簡阿淘』日本語訳版(法政大学出版局)が刊行されました。台南を中心とする台湾の歴史については、大東和重『台湾の歴史と文化―六つの時代が織りなす「美麗島」』(中公新書、2020年)が、新書なので手に取りやすく便利です。

(鳳気至純平)

ウェブサイト
公式 https://ystlmm-culture.tainan.gov.tw/

(中国語)

所在地
台南市中西区友愛街8₋3号