宮岡真央子提供

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瓊麻工業歷史展示區

サイザル麻工業史展示区

20世紀の恒春地方で展開したサイザル麻繊維工業の盛衰をたどる

サイザル麻(瓊麻)の栽培とそれを原料とする繊維工業は、20世紀初頭から1970年代まで台湾最南端の恒春半島における基幹産業の一つでした。サイザル麻工業史展示区は、その工場跡地の遺構や加工機械を保存し展示する施設として、1994年、墾丁国家公園内に設けられました。サイザル麻の特徴、台湾のサイザル麻繊維工業の歴史、収穫や運搬、加工技術や産品、社会・経済・生態への影響などについて、実物資料やパネルなどの展示から学ぶことができます。敷地内では、日本統治期にこの地にあった台湾繊維株式会社の宿舎の遺構や神社の鳥居なども見ることができます。植民地統治期から戦後まで続いたこの地域の産業史の一端を、具体的に知り、考えられる場所です。

学びのポイント

恒春地方におけるサイザル麻栽培の始まり

サイザル麻は、中央アメリカ原産、キジカクシ科リュウゼツラン属の繊維植物です。1901(明治34)年、駐台湾米国領事代理デヴィッドソンから台湾総督府殖産局技師の横山壮次郎に苗が贈られたことで台湾に持ち込まれました。折しも同年、同局技師の田代安定は、総督府に恒春熱帯植物殖育場の設置を提言しました。翌年この施設が開設され、主任となった田代は、横山から譲り受けた苗6株を移植しました。また同年、殖産局の横山や新渡戸稲造らがジャワ出張から持ち帰ったサイザル麻の苗12株も、やはりここに植えられました。田代はこれらを繁殖させ、1906年(明治39年)には3000株以上に増やし、繊維工業の振興を目指したのです。

サイザル麻繊維工業の隆盛

1910年代には、台湾繊維株式会社が今日のサイザル麻工業史展示区の土地に恒春麻場を設置し、イギリス製の加工機械を導入して操業を開始しました。1930年代、同社はロープ製造にも着手し、以後は日本の戦争需要に応えて事業を拡大させ、サイザル麻の栽培面積も増加します。
日本の敗戦後、同社の財産は台湾政府に接収されました。1950年代には公営企業である台湾省農工公司恒春麻場が漁業用ロープの製造を開始し、1960年代にはサイザル麻の品種改良や製造工程の機械化も進みました。1970年頃まで恒春地方では「サイザル麻の繊維を取れば家が建つ」と言われるほど、好況を呈します。 宮岡真央子提供

地域の集合的記憶としてのサイザル麻

1970年代以降、耐水性や軽さの面でより優れたナイロン製ロープが普及すると、サイザル麻の価格は次第に下落しました。植栽による森林破壊、工場排水による河川・海洋汚染も問題視されるようになります。そして1983年、台湾省農工公司恒春麻場が操業を停止しました。折しも1984年、恒春半島に墾丁国家公園が誕生します。そこで、この恒春麻場の跡地を展示施設として保存・公開することになったのです。恒春地方の人々は、かつてこの土地特有の熱帯性気候のもとでサイザル麻を育て、山から吹き下ろす冬の季節風でその繊維を乾かし、それにより豊かな収入を得てきました。この施設は、恒春地方の20世紀の歩みに関する集合的記憶を伝える場なのです。

宮岡真央子提供

さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】日本語で「麻」と総称される繊維植物にはさまざまな種類があります。台湾では外来品種のサイザル麻の他に、古くから先住民によって苧麻(ラミー)が栽培され、被服などに利用されてきました。また、世界的にみると、亜麻(リネン)、黄麻(ジュート)、マニラ麻などの繊維植物もあります。これらの特徴や原産地、利用法の違いについて調べ、20世紀初頭の恒春半島でサイザル麻栽培とそれを利用した繊維工業が振興した理由を考えてみましょう。
  • 【現地体験学習】 敷地内には異なる年代に建てられた異なる建築様式の建物やその遺構が保存されています。それらについて、各年代の繊維工業のあり方と結びつけながら観察し、台湾の近代史のなかに位置づけてみましょう。
  • 【事後学習】 日本が植民地統治期に台湾で振興した産業とそれにより日本にもたらされた経済的利益について、サイザル麻以外の農作物や製品について具体的に調べましょう。そして、その歴史的な意義や評価を、台湾と日本の両方の立場から考えたり議論したりしてみましょう。
参考資料
 
台湾の農業・工業・経済発展の推移については、若松大佑・赤松美和子編『台湾を知るための72章【第2版】』(明石書店、2022年)の第16章「農業」、第17章「工業」、第18章「経済発展」などが参考になります。日本統治期の建築物に対する今日の台湾における評価については、上水流久彦編『大日本帝国期の建築物が語る近代史:過去・現在・未来(アジア遊学 266)』(勉誠出版、2022年)をぜひ参考にしてください。 サイザル麻をはじめとする数多くの熱帯植物を恒春で育てた田代安定については、柳本通彦『明治の冒険科学者たち 新天地・台湾にかけた夢』(新潮社、2005年)がわかりやすいです。田代についてさらに専門的知識を深めたい方は、中生勝美の論文「田代安定伝序説--人類学前史としての応用博物学」(『現代史研究』7号、東洋英和女学院大学現代史研究所、2011年)を参考にしてください。また、今日の墾丁国家森林遊楽区は、田代が主任を務めた恒春熱帯植物殖育場を前身としています。こちらも一般公開(有料)されているので、瓊麻工業歴史展示区とともに訪問すれば、日本統治期に熱帯植物を利用した産業の振興を目指した田代の活動について具体的に知ることができるでしょう(日本語の公式ウェブサイト。日本語版リーフレットは林務局屏東林区管理処公式ウェブサイトからダウンロード可能)。 1910年代の台湾総督府によるサイザル麻に対する期待や産業振興の計画については、台湾総督府民政部殖産局編『「サイザルヘンプ」ニ関スル調査資料』(1914年、台湾総督府民政部殖産局)でさらに詳しく知ることができます。同書は、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。

(宮岡真央子)

ウェブサイト
公式 https://www.ktnp.gov.tw/News_Content2.aspx?n=5C28A0E32DF925F9&sms=C88B5251F308CE96&s=ED55850F71659492

(中国語)

所在地
屏東県恒春鎮草潭路4号