鄭氏政権の時代、赤崁樓の南側には明朝の皇族である寧靖王の邸宅がありました。1683年、鄭氏政権が清朝によって滅ぼされる直前、寧靖王はこの邸宅で自殺してしまいます。翌年、清朝の軍勢を率いる将軍・施琅が旧寧靖王邸で媽祖を祀ったのが大天后宮の始まりです。その東隣には鄭氏政権の時代から関帝廟があったと言われていますが、清代には祀典武廟と呼ばれるようになりました。「祀典」とは政府が祀る廟のことです。ちなみに寧靖王の五人の妃も自殺し、彼女たちは五妃廟(台南市中心部の南側にあります)に祀られました。
媽祖はもともと実在した女性を神格化したものと言われています。宋の時代、福建省に生まれた林黙娘は神通力で奇蹟を起こし、死後は航海安全の神様として祀られました。その後、歴代政府からも崇敬され、贈られた位階に応じて天妃、天后、天上聖母など様々な呼び名があります。林黙娘の出身地である福建省は海洋交易に従事する人が多かったので、媽祖信仰は中国大陸沿岸各地に広がりました。台湾には福建省にルーツを持つ人が多く、祖先はみな危険な海を渡って来たので、媽祖は台湾でも篤く信仰されています。
黒羽夏彦撮影
関帝は三国志で有名な武将・関羽のことです。関羽は信義に篤かったので、関帝信仰は政府からも重視され、清代には「武廟」として祀られるようになりました(ちなみに、「文廟」は孔子廟を指します)。関羽は文衡帝君(関聖帝君)という学問の神様でもあるほか、商売の神様としても知られています。関羽の出身地・山西省は塩商人が有名で、彼らは旅先で関羽を祀る廟を建てました。こうした風習が商人の間で広まったため、世界各地の中華街には必ず関帝廟があります。