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北頭洋平埔文化園區

北頭洋平埔文化園区

歴史に埋もれた平地先住民族・シラヤ──その復活の息吹を感じ取る

台南北郊の小都市である佳里には、北頭洋平埔文化園区と蕭壠文化園区という、シラヤ文化を学べるスポットが二つあります。シラヤ文化の復興を目的として設置されたのが北頭洋平埔文化園区です。その中の北頭洋文化館ではシラヤ文化について展示紹介されています。その隣の立長宮はシラヤの伝統宗教における神「阿立祖」を祀り、公廨(コンカイ)と呼ばれています。近くには「飛番墓」もあります。蕭壠文化園区は、日本統治時代には明治製糖の工場で、今ではその跡地で様々なイベントが行われています。蕭壠とは佳里の旧名で、シラヤ族を指していました。蕭壠文化園区にも西拉雅平埔文化館があり、北頭洋平埔文化園区と合わせて、佳里周辺を回りながらシラヤ族について思いを馳せることができます。

学びのポイント

平埔族とは?

現在、台湾の平野部に住んでいるのはほとんどが漢族系住民ですが、以前はオーストロネシア系の先住民族(台湾では「原住民族」と表記)がいました。台湾海峡を渡って来た漢族系住民が増えるにつれて、先住民族のある者は移動し、またある者は漢族系と混ざって同化します。「平埔族」とは平地に住む民族という意味で、以前は、具体的にはこうした漢族系に同化した先住民族の総称として使われていましたが、最近では研究が進み定義の見直しが行われています。現在の台南一帯にはシラヤ族という平埔族がいました。オランダ人が台湾へ来たとき、最初に接触したのがこのシラヤ族でした。

シラヤ族とはどんな人々ですか?

シラヤ族は、先住民族である平埔族の一つです。オランダ統治時代にはキリスト教を受容し、アルファベットで表記されたシラヤ語の文書も断片的ですが残っています(後にシラヤ族の間ではキリスト教はすたれました)。駆け足が速いことでも有名で、オランダ統治時代や清代の記録に書き留められています。北頭洋文化館の近くに「飛番墓」というものがあります。「飛番」とは飛ぶように足が速い先住民族という意味ですが、その噂が中国にも伝わり、北京にまで呼ばれて乾隆帝に謁見した人の墓だと言われています。立長宮では壷を祀るというシラヤ族独特の習俗も見られます。現在は、失われてしまった自分たちの伝統文化を蘇らせようとするシラヤの人々の熱意によって、夜祭の伝統儀式も復活しています。

佳里には製糖工場も?

台湾はサトウキビの生育に適した環境で、昔から製糖業が盛んでした。日本統治時代に明治製糖が佳里に設立した近代的な製糖工場は1908年から操業を始め、戦後は台湾糖業公司に接収されました。その後、経済環境の変化によって台湾の糖業は衰退し、1998年に操業停止しました。工場跡地は2005年から蕭壠文化園区として生まれ変わり、旧倉庫はイベント会場として利用されています。
さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】台湾の先住民族(原住民族)の歴史について調べてみましょう。
  • 【事前学習】【事後学習】シラヤ族の人々はかつて失われた文化を復興させようとしています。日本のアイヌをはじめ他の地域ではどのような試みが行われていますか? 比較しながら考えてみましょう。
  • 【事前学習】【事後学習】台湾の製糖業は日本とどのような関係がありましたか? 調べてみましょう。
参考資料
シラヤ族については日本順益台湾原住民研究会編『台湾原住民研究概覧 日本からの視点』(縮刷版、風響社、2005年)所収の清水純「平埔族 シラヤ(西拉雅族)」や大東和重『台湾の歴史と文化』(中公新書、2020年)「第二章 平地先住民族の失われた声──平埔族とオランダ統治」が参考になります。オランダ時代のシラヤ族の動向は、林田芳雄『蘭領台湾史──オランダ治下38年の実情』(汲古書院、2010年)からもうかがえます。民俗学者・國分直一がシラヤ族の村落(北頭洋を含む)を訪れた際の記録は『壺を祀る村』(法政大学出版局、1981年)に収録されています。

(黒羽夏彦)

ウェブサイト
台南旅遊網(台南市政府観光旅遊局)https://www.twtainan.net/ja/attractions/detail/4988
所在地
台南市佳里区番仔寮66之1号

特記事項
北頭洋文化館は民間の運営で、展示館が不定期で休館していることもあります(園内には入れます)。展示館の参観を希望する場合は、蕭壠社北頭洋發展協會と事前に連絡を取る方が確実です。