許世賢博士紀念館提供

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許世賢博士紀念館

許世賢博士紀念館

医学から政治の道に進んだ女性エリート、許世賢

許世賢博士記念館は2014年1月4日に開館しました。記念館は、許世賢博士の旧居である嘉義市世賢図書館の三階にあります。許世賢博士は1908年生まれ、旧九州帝国大学医学部の博士号を取得した台湾初の女性博士です。戦後、許博士は医学から政治の世界へと転換、台湾省議員、嘉義市長を歴任し、政治的に大きな影響力を持ちました。館内では女性エリートである許世賢博士の生涯や政治への貢献が展示され、卒業アルバム、医学研究ノートや医療機器などを見ることができます。

学びのポイント

許世賢はなぜ女性エリートなの?

昔は、女性の教育は重要視されませんでした。そのため、日本統治期に、基礎教育を受ける台湾人女性は少数でした。許世賢が生まれた1908年には、台湾人が通う公学校の女子就学率はわずか1.02%に過ぎませんでした。そのような時代に生まれた許世賢でしたが、高等女学校を卒業し、日本内地の東京女子医学専門学校へ進学しただけではなく、開業医として泰徳病院(のちの世賢病院)を経営し、さらに医学博士号まで取得しました。当時では極めて珍しいことでした。

許世賢博士紀念館提供

女性エリートの戦後政治参与は?

日本統治期の台湾にも女性エリートはいたものの、植民地政府の役職まで務めた女性は恐らくいなかったでしょう。第二次世界大戦後、台湾に移った中華民国政府が、少数ながら女性の政治参与の定員を設けたため、社会的に影響力を持つ女性エリートの政治参入がようやく可能になりました。人数は少ないものの、その活躍は看過できません。許世賢もその一例で、戦後台湾省議員に何度も当選し、政府に批判的な姿勢を示しました。そのため、同じ台湾省議員の李万居、郭国基、郭雨新、呉三連と李源桟とともに「五龍一鳳」とも呼ばれました。また彼女には、「嘉義媽祖婆」(媽祖は海を護る女神)という愛称もあります。 戦後、政治に活躍した女性は男性よりはるかに少なかったのですが、女子教育の普及、そして台湾社会の民主化に伴い、現在の台湾女性の政治進出には目を見張るものがあります。2016年には、蔡英文が女性として初めて総統に就任しました。なお、行政機関でも男女それぞれが一定の割合を超えないようにする制度が徐々に導入されています。
さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】嘉義市内にほかの「世賢」と名付けられた道路や学校や公共機関などを調べましょう。
  • 【事後学習】明治時代の女子教育と日本統治期の台湾女子教育を比べましょう。
  • 【事後学習】【事前学習】【事後学習】日本と台湾の女性閣僚、女性国会議員の割合を調べて、日台の女性の政治参与について比較しましょう。
参考資料
許世賢を紹介する日本語書籍はありませんが、台湾の女性の歴史については、台湾女性史入門編纂委員会『台湾女性史入門』(人文書院、2008年)が参考になります。なお、蔡蕙頻著・日野みどり訳『働き女子@台湾―日本統治期の水脈』(凱風社、2016年)は日本統治期の働く女性たちについて大変わかりやすく紹介しています。赤松美和子はこの本を書評「すべての働く女性たちを台湾史上へ」(『華南研究』5、2019年)にまとめています。佐喜本愛「九州帝国大学女子留学生に関する一考察」(『九州帝国大学における留学生に関する基礎的研究』、2004年)では許世賢と彼女の博士論文について触れています。

(蔡蕙頻)

ウェブサイト
嘉義市政府文化局https://www.cabcy.gov.tw/web/ArtZone/HsuShihHsienMemorial

(中国語)

所在地
嘉義市西区世賢路685号

特記事項
火曜日から日曜日、午前9時から午後5時まで開館。(月曜休)
入場無料。