呂美親提供
呂美親提供
王育德紀念館
王育徳紀念館
台湾を愛し、台湾研究に人生をささげた言語学者
台湾語や台湾の歴史、文学の研究を生涯の仕事とした王育徳。台南の生んだ言語学者であり、台湾独立運動家でもあった人物を記念するため、2018年、台南市内にこの記念館が設けられました。規模こそ小さいものの、ご家族が大事に保存してきた、王の書いた手紙、関連する資料、カバンやメガネ、文具などの愛用品が飾られ、その人生や人物に触れることができます。また、記念館の周辺は台南の街の中心です。ここを出発点に、王も歩いた道をたどって、台南の街を歩くことができます。王育徳が書いた自伝を事前に読んでおけば、街歩きの楽しさは倍増することでしょう。
学びのポイント
王育徳が台湾研究を志すまで
王育徳は、日本統治下の1924年、台湾のもっとも古い街、台南の、伝統的な生活様式が残る大家族の家に生まれました。古い習慣の中で育ち、台湾語を用いた私塾の教育に接することで、台湾人としての意識を強く持ちます。主に日本人児童が通う小学校の受験に失敗した王育徳は、台湾人が通う公学校に通った後、地元の名門校であり、主に日本人が通う台南第一中学校に入学します。優れた教師との出会いがあった一方で、植民地時代の日本人と台湾人の間にあった壁を痛感する経験もしました。台北高等学校を経て、東京帝国大学へ進む中で、兄から影響を受けて台湾の文化に強い関心を抱き、やがて台湾語の研究を志すようになります。
王育徳の人生から台湾を知る
1949年、台湾を支配した中国国民党政権の弾圧から逃れるため、王育徳は日本へと亡命します。東京大学へ復学し、台湾語の研究を進めるとともに、やがて仲間を集めて雑誌を出し、台湾独立運動を展開します。戦後、台湾では中国語が国語とされましたが、戦後初期には台湾語を話す人が大多数でした。台湾語とは福建省南部をルーツとする言語で、王は、将来台湾が独立した際には、台湾語が国語になると考えて、その研究と普及に心血を注いだのでした。王の人生をたどることは、戦前の日本統治期から戦後にかけての、台湾の苦難の歴史をたどることでもあります。
台南の古い通り、民権路を歩こう
王育徳紀念館は、「呉園芸文中心」(呉園芸術文化センター)という施設の一角にあります。この施設のもととなったのは伝統的庭園「呉園」で、台南の街の中心である「湯徳章紀念公園」というロータリーの近くにあります。センターには日本統治期に建てられた建築が複数あり、中でも、和式建築をリフォームしたカフェと、洋式建築の旧台南公会堂(現在の呉園公会堂)は目を引きます。公会堂の前を走る通りは「民権路」といい、台南のもっとも古い繁華街です。民権路沿いには、由緒ある廟(道教の寺院)や老舗のレストラン、茶葉店などがあり、台湾の伝統的な雰囲気を感じることができます。王育徳紀念館を出発点に、東西に走る民権路を歩いてみてください。
さらに学びを深めよう
- 【事前学習】【事後学習】 王育徳の自伝『「昭和」を生きた台湾青年 日本に亡命した台湾独立運動者の回想 1924-1949』をはじめ、戦前の台南を描いた本を読んでみましょう。
- 【事前学習】【事後学習】『「昭和」を生きた台湾青年 日本に亡命した台湾独立運動者の回想 1924-1949』に出てきた学校名などの地名と、現在の台南の地図とを比べて、googleマップなどを使いマッピングしてみましょう。
- 【現地体験学習】 呉園芸術文化センターの周辺や民権路を歩いて、台湾の廟や老舗のお店などを発見してみましょう。
参考資料
台湾を訪れる前に、ぜひ読んでほしい一冊が、王育徳が戦前の若い日々を回想した自伝、『「昭和」を生きた台湾青年 日本に亡命した台湾独立運動者の回想 1924-1949』(編集協力=近藤明理(王明理))です。2011年に草思社から刊行された書籍が、2021年、草思社文庫となりました。日本が統治していた時代、南部の古都台南や、教育を受けた台北で、苦しみながらも青春を生きた、王育徳。その人生を通して、植民地に生きる台湾人や日本人の姿が浮かび上がります。同じく戦前の台南の生活を描いた、辛永清『安閑園の食卓 私の台南物語』(集英社文庫、2010年)、今林作夫『鳳凰木の花散りぬ なつかしき故郷、台湾、古都台南』(海鳥社、2011年)と合わせて読めば、台南に行ってみたいという気持ちになることでしょう。こうした台南の街や台湾をめぐる書籍については、台湾修学旅行アカデミー第7回 台湾Area Studies~台南篇~ 大東和重(関西学院大学) を見てみましょう。
- ウェブサイト
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公式
https://www.twtainan.net/zh-tw/attractions/detail/490
(日本語・中国語)
- 所在地
- 台南市中西区民権路2段30号