琉球漁民慰靈碑 琉球漁民慰霊碑

沖縄のウミンチュが残した足跡を和平島にたどる

松田良孝撮影

台湾北部の海水浴場として人気のスポットとなっている基隆・和平島。行楽客でにぎわう和平島公園の海を臨む場所に、モリを手にした男の像が立っています。沖縄と台湾の有志が寄付を募り、2011年に建立した琉球漁民慰霊碑(琉球ウミンチュの像)です。その向こうに広がる海には小島が浮かび、時折、船が行き来しています。和平島は、17世紀にスペインとオランダが支配権を争った場所として台湾史でも重視されています。日本統治期には「社寮島」と呼ばれ、19世紀末には琉球(沖縄)人が漁に来ていたとの記録があります。慰霊碑は、沖縄からやってきた漁民と台湾の人たちが社寮島でともに暮らしたことを刻み、沖縄出身者やオランダ人、スペイン人など、この地で亡くなったものの、弔いが行われないままになっていた人々に哀悼の意を表しています。多様な民族や国が行き交った社寮島(和平島)に沖縄出身者が登場し、この島の歴史に一ページを刻んでいます。

学びのポイント

沖縄出身者の暮らしぶりとは?

沖縄出身者たちは、独特の素潜り漁で海産物を捕るだけでなく、三線(沖縄に特徴的な三味線)を持ち込んでいました。このため、社寮島の沖縄出身者の集落は、他府県出身の人たちからは、独特の風情が漂う場所として受け止められていました。「異国情緒」という表現を当てた文章も残されています。半面、特異な文化や生活習慣は沖縄出身者に対する偏見や差別につながり、台湾の人たちの沖縄出身者に対する共感を呼び起こしたことから、両者の間に親しみの感情が湧いたといいます。

社寮島の沖縄漁民は何を捕っていたのですか?

主要な海産物として、寒天草(石花菜)が挙げられます。沖縄出身の漁民は小さな舟で沖に出ると、素潜りで寒天草を捕っていたのです。社寮島の住民と新参者の沖縄出身者との間でいさかいが起きることもありましたが、沖縄出身の漁民はやがて寒天草を採る方法を地元の人たちに伝えるようになり、両者の対立関係は緩和されていったといわれています。

島の暮らしを垣間見るには?

暑い季節に入ると、島のあちこちで「石花凍」という看板を見かけるようになります。寒天草(石花菜)を使った冷菓の名前です。安価なローカルフードで、黒糖などを使ったシロップをかけて食べると、ひんやりとして美味です。島の人たちや地元の行楽客と一緒に味わってみると、土地の雰囲気に溶け込むことができるかもしれません。

カイニンソウを使った冷菓「石花凍」。黒蜜をかけて味付けをしているところ、松田良孝撮影

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】【事後学習】社寮島では、地元の人と移り住んできた沖縄出身者の間で対立や融和が生じました。移民を迎える社会では、どのような現象が起きるのでしょうか。対立を緩和するためにどのような方策が考えられるでしょうか。
  2. 【現地体験学習】和平島には、海水浴などのために台湾の人たちがやってきます。島内で販売されているマリングッズにはどのようなものがあるでしょうか。台湾の人はどのように海を楽しんでいるでしょうか。観察してみましょう。
  3. 【現地体験学習】和平島(かつての社寮島)には、魚介類を販売する市場と、客が購入した魚介類を調理して食べさせるレストランがあります。台湾の人たちが魚介類を楽しむ様子を見学してみましょう。

参考資料

沖縄と台湾の関係については又吉盛清『大日本帝国植民地下の琉球沖縄と台湾』(同時代社、2018年)、国永美智子ら編『石垣島で台湾を歩く』(沖縄タイムス社、2012年)、松田良孝『与那国台湾往来記』(南山舎、2013年)、専門的には朱徳蘭「基隆社寮島の沖縄人集落(1895―1945)」(上里賢一ら編『東アジアの文化と琉球・沖縄―琉球/沖縄・日本・中国・越南』彩流社、2010年)。

(松田良孝)

ウェブサイト
交通部観光局https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003105&id=635 交通部観光局北海岸及観音山国家風景区管理処https://www.northguan-nsa.gov.tw/user/Article.aspx?Lang=3&SNo=04005328
所在地
基隆市中正区平一路360号
特記事項
入場料が必要。