紀州庵とは、和歌山県から台湾に渡った平松徳松が1897年に台北の西門町の近くに開業した日本料亭で、店名は平松の故郷に由来します。料亭は繁盛し、1917年に新店渓のほとりに支店を開きました。紀州庵支店(以降、紀州庵と記す)は、当初は木造茅葺屋根の2階建てで、後に3階建てに改装、別館、離れを増築、屋形船も所有していたそうです。平松徳松の義父は建築業に従事し、初代台湾総督・樺山資紀の軍属として台湾に移住しています。紀州庵の立派な建物には平松の妻の実家の影響もあったようです。
紀州庵の中(赤松美和子撮影)
紀州庵は、戦後しばらくは日本人の臨時居住施設でしたが、1947年に国民政府に接収され、公務員宿舎になります。90年代には火災に見舞われ、離れの一部を遺すのみとなりました。2002年に台湾大学城郷研究所の大学院生・林育群らが授業でこのエリアを調査し、建物の一部を見つけます。近所のお年寄りから、かつては日本料亭で、王という作家が住んでいたと聞き、文学好きの林は、王文興の作品の舞台であることを突き止めます。紀州庵の保護活動はこうして始まりました。2004年、台北市文化財の指定を受け、老樹も保護され、「紀州庵文学森林」と名付けられました。
作家の王文興は、1939年に中国の福建省で生まれ、1946年に台湾に渡りました。元紀州庵の公務員宿舎に、8歳から27歳まで暮らしたそうです。王は、台湾大学外文系の教授も務めながら、創作活動を行いました。60年代の台湾の闇が実験的な語りで精緻に描き込まれた『家変』(1973年)は、息子の視点からの父との物語で、親孝行ではなく、息子の虐待によって父が失踪するという衝撃的な話です。紀州庵は、ぼろぼろで汚くて友だちを呼べない宿舎として登場します。
台北国際ブックフェア2018で対談中の王文興(赤松美和子撮影)