紀州庵文學森林 紀州庵文学森林

廃墟はかつては料亭だった、そして文学の聖地へ

赤松美和子撮影

MRT古亭駅から新店渓に向かって同安街を10分ほど歩くと、左手に日本家屋が見えます。靴を脱いで中に入ると文学の展示や講演などのイベントをするスペースとなっており、小さな書店とカフェも併設されています。築百年を迎えた建物は、和歌山出身の平松徳松が開業した料亭紀州庵の支店を修復したものです。廃墟となっていたところ、2002年に台湾大学の大学院生に発見され、台北市の文化財に指定、2011年に紀州庵文学森林として再生しました。この文化施設が文学森林と名付けられたのは、台湾の作家・王文興の小説『家変』の舞台であったなど、この地が文学と縁が深かったからです。

学びのポイント

紀州庵とは?

紀州庵とは、和歌山県から台湾に渡った平松徳松が1897年に台北の西門町の近くに開業した日本料亭で、店名は平松の故郷に由来します。料亭は繁盛し、1917年に新店渓のほとりに支店を開きました。紀州庵支店(以降、紀州庵と記す)は、当初は木造茅葺屋根の2階建てで、後に3階建てに改装、別館、離れを増築、屋形船も所有していたそうです。平松徳松の義父は建築業に従事し、初代台湾総督・樺山資紀の軍属として台湾に移住しています。紀州庵の立派な建物には平松の妻の実家の影響もあったようです。

紀州庵の中(赤松美和子撮影)

日本人が引き揚げた後の紀州庵は? 

紀州庵は、戦後しばらくは日本人の臨時居住施設でしたが、1947年に国民政府に接収され、公務員宿舎になります。90年代には火災に見舞われ、離れの一部を遺すのみとなりました。2002年に台湾大学城郷研究所の大学院生・林育群らが授業でこのエリアを調査し、建物の一部を見つけます。近所のお年寄りから、かつては日本料亭で、王という作家が住んでいたと聞き、文学好きの林は、王文興の作品の舞台であることを突き止めます。紀州庵の保護活動はこうして始まりました。2004年、台北市文化財の指定を受け、老樹も保護され、「紀州庵文学森林」と名付けられました。

王文興の小説『家変』

作家の王文興は、1939年に中国の福建省で生まれ、1946年に台湾に渡りました。元紀州庵の公務員宿舎に、8歳から27歳まで暮らしたそうです。王は、台湾大学外文系の教授も務めながら、創作活動を行いました。60年代の台湾の闇が実験的な語りで精緻に描き込まれた『家変』(1973年)は、息子の視点からの父との物語で、親孝行ではなく、息子の虐待によって父が失踪するという衝撃的な話です。紀州庵は、ぼろぼろで汚くて友だちを呼べない宿舎として登場します。

台北国際ブックフェア2018で対談中の王文興(赤松美和子撮影)

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】【事後学習】和歌山市は、紀州庵の縁で、紀州庵創建100周年の2017年に台北市と交流促進に関する覚書を締結し、文化交流や青少年交流などの友好交流を積極的に進めています。あなたの暮らすまちは、海外のどの国や地域と交流関係にあり、何をきっかけに交流を開始し、どんな活動を行っているのか調べてみましょう。
  2. 【現地体験学習】紀州庵文学森林には小さな書店が併設されています。本を手に取って、表紙や奥付など、日本の本と同じところ、違うところを観察してみましょう。

参考資料

老屋顔(辛永勝・楊朝景)著、西谷格訳『台湾レトロ建築案内』(エクスナレッジ、2018年)には、レトロ建築の一つとして紀州庵が取り上げられています。また、赤松美和子・若松大祐編『台湾を知るための60章』(明石書店、2016年)第37章「文学――公認「台湾文学」誕生に至る道」には台湾文学簡史が紹介されています。王文興『家変』の日本語訳はありません。専門的ではありますが、金文京「台湾現代派文学の旗手王文興をよむ」(『芸文研究』 第54号、1989年)にあらすじや文学技法について詳細に分析、紹介されています。

(赤松美和子)

ウェブサイト
公式 https://kishuan.org.tw/ 台北旅遊網(台北市政府観光伝播局)https://www.travel.taipei/ja/attraction/details/873
所在地
台北市中正区同安街107号