Y字路の成りたちには、地形の高低差や旧道、鉄道跡、都市デザインなど様々な理由
が関係します。「夢のY字路」と言われる同安街Y字路の場合は、右側の道路にかつて
あった水路に蓋をかぶせ「暗渠」(道路の地下に設けられた水路)としたことです。
このように「暗渠」によってY字路になる例は、台北市内で他にも多く見られます。
右側の道路の上に、「グレージング」(網状のふた)が点々とつづき、地下の水の流
れを示しています。入り口が殆ど左側の道路に集中しているのも、暗渠の存在を表わ
すポイントです。まん中の建物は一見すると木造住宅のようですが、実はコンクリー
ト造りに木の板を張り付け、わざと時代を感じさせる作りになっています。背景の現
代的なマンションとの比較も、面白さのひとつです。
現在、この辺りは商店や食堂のひしめく賑やかな場所ですが、昔の地図を見てみると
今の景色からはわからない沢山の発見があります。日本統治時代、1932年頃の地図で
は、ちょうどY字路の右側にぴったりと重なるように水路があります。この辺りは「
川端町」と呼ばれていました。ルーズベルト通りからゆるやかに坂になっている同安
街を下ると河(新店渓)に突き当たるからです。また現在の汀州路は、鉄道線路(新
店支線)でした。鉄路と同安街Y字路のまん中あたりには、「赤川」という川が流れ(
ここも現在は暗渠になり、Y字路になっています)、夏には蛍が舞うほど美しかった
そうです。今もその名残で、近くには「蛍橋小学校」があります。
今は失われてしまった風景を想像することが、Y字路探索の最も大きな楽しみです。
古地図(栖来ひかり提供)