栖来ひかり撮影

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同安街 Y字路

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同安街 Y字路

小さな路地のY字路から、かつてそこにあった風景を想像する

「Y字路」とは、アルファベット「Y」の形に見える鋭角に分かれた三叉路のことです。日本の美術アーティストである横尾忠則さんが名付け親で、日本のY字路を描いた絵画シリーズや写真集が出版されています。台北でも多くのY字路を見つけることができます。特にMRT古亭駅に近い同安街の入り組んだ路地の中にある同安街Y字路は、正に「夢のY字路」です。その印象的なビジュアルは 、日本の書籍 、雑誌の表紙や、ミュージックビデオ、映画の舞台として登場するなど「台湾Y字路の聖地」とも呼ばれ、台北の隠れた名物スポットとなっています。「夢のY字路」の真ん中には木板の貼られた二階建ての建物があり、もっとも手前の一軒は空き家となっています。

学びのポイント

「夢のY字路」はどうやってできた?

Y字路の成りたちには、地形の高低差や旧道、鉄道跡、都市デザインなど様々な理由が関係します。「夢のY字路」と言われる同安街Y字路の場合は、右側の道路にかつてあった水路に蓋をかぶせ「暗渠」(道路の地下に設けられた水路)としたことです。このように「暗渠」によってY字路になる例は、台北市内で他にも多く見られます。

この風景の見どころ

右側の道路の上に、「グレージング」(網状のふた)が点々とつづき、地下の水の流れを示しています。入り口が殆ど左側の道路に集中しているのも、暗渠の存在を表わすポイントです。まん中の建物は一見すると木造住宅のようですが、実はコンクリート造りに木の板を張り付け、わざと時代を感じさせる作りになっています。背景の現代的なマンションとの比較も、面白さのひとつです。

 
 

ここはどんな場所だった?

現在、この辺りは商店や食堂のひしめく賑やかな場所ですが、昔の地図を見てみると今の景色からはわからない沢山の発見があります。日本統治時代、1932年頃の地図では、ちょうどY字路の右側にぴったりと重なるように水路があります。この辺りは「川端町」と呼ばれていました。ルーズベルト通りからゆるやかに坂になっている同安街を下ると河(新店渓)に突き当たるからです。また現在の汀州路は、鉄道線路(新店支線)でした。鉄路と同安街Y字路のまん中あたりには、「赤川」という川が流れ(ここも現在は暗渠になり、Y字路になっています)、夏には蛍が舞うほど美しかったそうです。今もその名残で、近くには「蛍橋小学校」があります。今は失われてしまった風景を想像することが、Y字路探索の最も大きな楽しみです。

古地図(栖来ひかり提供)

さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】旅行で訪れる場所について、インターネットで中央研 究院人文社会科学研究センターの「台湾百年歴史地図 」を見ながら、かつてどんな場所だったかを調べましょう。
  • 【現地体験学習】Google Mapsと連動したスマホアプリ「台北歴史地図」で実際に現地を歩きながら、昔の地図と見比べてみましょう。
参考資料
台北を中心としたY字路の成り立ちや、そのエリアの歴史については、栖来ひかり『時をかける台湾Y字路~記憶のワンダーランドへようこそ』(ヘウレーカ、2019年)、地形をめぐる散歩の楽しさを知るなら皆川典久『東京スリバチ地形入門』(イースト新書Q、2016年)、暗渠にまつわる風景の変化については吉村生、髙山英男『暗渠パラダイス!』(朝日新聞出版、2020年)を読んでみましょう。日本のアーティスト“SHE IS SUMMER”のMV『嬉しくなっちゃって』及びそれを元にした短編映画(いずれも穐山茉由・監督作品)では、「夢のY字路」はじめ台北のY字路がいくつも登場します。

(栖来ひかり)

所在地
台北市同安街8巷×同安街8巷2弄