二二八国家紀念館提供

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二二八國家紀念館

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二二八国家紀念館

教育会館から歴史記憶の教育施設へ

この建物は、1931年に台湾教育会館として落成し、毎年美術展覧会が開かれる会場として知られていました。1946年5月に台湾省参議会の議事堂となり、1959年から1979年までは米国在台新聞処(United StatesInformation Service in Taiwan, USIS)として使われましたが、米華(台)国交断絶後、米国文化センターと改称されました。2006年に二二八国家紀念館となり、修復工事と展示内容や施設の準備を経て、2011年2月28日に国の二二八事件の記念および教育のための施設として正式に開館しました。

学びのポイント

二二八事件の経緯と影響は?

二階の展示場では時系列で、なぜ台湾住民が戦後中国大陸からやってきた台湾省行政長官の陳儀に反対し、政治改革の要求を提出したのかを説明し、さらに武力鎮圧で多くの住民が犠牲になったこと、社会エリート層への打撃やエスニック集団の対立なども解説しています。犠牲者の写真や遺品の展示は特に注目すべきものです。最後には「施儒珍の壁」という展示があり、事件後の白色テロのなかで、18年間自室に隠れ続けることを余儀なくされた施儒珍という人物の生活ぶりが紹介されています。

二二八国家紀念館提供

なぜこの建物を記念館に選定したのか?

1946年5月1日、台湾省参議会の成立大会が本館の二階で開かれました。二階の議事堂は台湾の民主の殿堂とも言えます。しかし翌年、多くの議員が事件に巻き込まれ、犠牲者も出ました。これが記念館に指定された主な理由です。また周りには植物園と小中高の学校があり、総統府と総統官邸に近い立地条件、赤レンガの建造物、教育会館から議会を経て文化センターになったという沿革も重視されました。

二二八国家紀念館提供

 

財団法人二二八事件紀念基金会とは?

この建物は記念館として運営されていますが、運営母体である財団法人二二八事件紀念基金会もここに入居しています。1995年、「二二八事件処理及び補償条例」に基づいて基金会が設置され、賠償金受給対象の認定と支給の業務を担当し、毎年の追悼記念式典の主催機関ともなりました。また、史料文物の整理保存、出版や歴史教育、国際交流なども基金会の業務です。

さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】二二八事件と韓国の四・三事件(済州島)や光州事件との類似点や共通点を調べてみましょう。
  • 【事前学習】【事後学習】この事件について語ることが、なぜ長い間タブーとなっていたのでしょうか。このタブーはどのように破られたでしょうか。
  • 【現地体験学習】【事後学習】この事件で犠牲になった日本留学経験者を探してみましょう。またなぜ多くの高学歴者が犠牲になったのかを考えてみましょう。
参考資料
二二八事件については、何義麟『台湾現代史:二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』(平凡社、2014年)阮美姝著、張瑞延イラスト『漫画 台湾二二八事件』 (まどか出版、2006年)を読んでみましょう。動画「おうちで楽しもう台湾の博物館 第7回 二二八国家紀念館」では、二二八国家紀念館はもちろん、二二八事件についても映像で学ぶことができます。

(何義麟)

ウェブサイト
公式https://www.228.org.tw/jp_index.php 台北旅遊網(台北市政府観光伝播局)https://www.travel.taipei/ja/attraction/details/2027
所在地
台北市南海路54号