十三行博物館提供

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新北市立十三行博物館

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十三行博物館

台湾北部の先史時代と鉄器文化を体験しながら学べる博物館

17世紀から語られることの多い台湾の歴史ですが、実は各地に先史時代の遺跡が点在しており、北部での代表格ともいえるのが港町淡水の対岸八里にある「十三行遺跡」です。台湾の鉄器文化を伝える遺跡からは、陶器、鉄器、墓など、様々な文物が出土しており、約1800年前から500年ほど前まで、ここに製鉄技術を持つ人々が住んでいたことがわかっています。1990年の初頭に、遺跡がある場所に汚水処理場が建設されることになったことから、遺跡の保存運動が起こり、更に遺跡の発掘作業がすすめられ、焼き物のかけらや金属器、石器などが発見されました。保存を求める多くの声に応え、十三行遺跡は国定遺跡に指定され、遺跡の9分の1が保存されることになりました。出土品の陳列館として2003年に「十三行博物館」が正式に開館しました。十三行遺跡地層、考古学試掘坑現場模型、遺跡発掘ビデオ、バーチャル体験コーナーなど、考古学についての知識が学べる体験型の博物館です。

学びのポイント

十三行遺跡はいつ誰が見つけたのでしょうか?

1955年、空軍のパイロットが近くの観音山上空を飛行したときに、羅針盤の磁力の異常な反応に気づきました。調査の結果、台湾の先史時代の人びとが残した「鉄」によって引き起こされた反応であることがわかり、先史時代の遺跡と断定されました。考古学では、遺跡の発見場所の地名を命名することが通例であることから、「十三行庄」という地名にちなんで「十三行遺跡」と名付けられました。

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「十三行」という名前の由来は何でしょうか?

由来には諸説あります。清朝の時代、ここは重要な港で、13の貿易商があったことから「十三行」(「行」は「銀行」にも使われているように商店を意味する)と呼ばれたという説。あるいは、中国大陸から海を渡って来た男たち13人がここで開墾を行ったことにちなむとする説。また、先住民族が呼んでいた地名を音訳したものだと主張する学者もいます。

   

「十三行遺跡」に暮らした人々はどのような生活をしていたのでしょうか?

遺跡がある八里という場所は、海と川が合流する淡水河の河口に位置するため水産資源が豊富です。このため、遺跡からは漁や貝を砕くために使われた網のおもり石や凹石などの石器、また、魚の骨や貝殻も多く発見されています。

さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】淡水河に沿って、十三行遺跡のほかにも「大坌坑遺址」「円山遺跡」「芝山岩遺跡」という新石器時代の遺跡があります。十三行遺跡との異同や交流の有無について調べてみましょう。
  • 【事前学習】【事後学習】十三行遺跡は考古学上、台湾で最古の文化ではありません。では、現時点で発見されている台湾最古のものはどこにあるどの時代のものでしょうか。
  • 【現地体験学習】ダイビング技術を応用した水中考古学が体験できるコーナー「海中奧秘-水下考古」があります。海の中に入ったような世界観の展示スペースでVR体験をしてみましょう。
  • 【現地体験学習】十三行博物館の“顔”、台湾でたった一つの「人面土器」を復元してみましょう。
参考資料
台湾鉄器文化十三行遺跡についての詳細な解説は、宮崎県立西都原考古博物館『台湾鉄器文化の粋-新北市十三行遺跡と人びと』2017年を参照してください。また、同館の日本語のパンフレットをダウンロードすることができます。台湾の鉄器時代については国立台湾史前文化博物館のウェブページを見てみましょう。

(阿部由理香)

ウェブサイト
公式https://jp.sshm.ntpc.gov.tw/ 交通部観光局ttps://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003091&id=3545 新北市観光旅遊網(新北市政府観光旅遊局)https://tour.ntpc.gov.tw/ja-jp/Attraction/Detail?wnd_id=115&id=111724
所在地
新北市八里区博物館路200号
特記事項
予約:団体のガイド予約可能(団体予約導覽申請表をサイトからダウンロードし申込 む) 日本語でのガイドは、音声ガイドやガイドアプリがある