山崎直也撮影
山﨑直也撮影
空軍三重村 新北市眷村文化園區
空軍三重村 新北市眷村文化園区
日本軍の残した施設がある台湾軍人旧居住地の文化パーク
中国国民党と中国共産党との国共内戦の結果、 多くの人が中国大陸から 台湾に移り住むことになりました。彼らが住んだ地区は眷村と呼ばれ、台湾各地にありました。新北市眷村文化園区のもとになったのは、空軍三重一村という名前の、空軍の軍人が住んでいた眷村です。その土地には第二次世界大戦時に日本軍が造った地下道や地下室、防空壕があり、これらは現在、歴史建築になっています。各地の眷村は、2000年代に取り壊しが進められましたが、空軍三重一村は取り壊されず、整備されて、2018年に眷村文化を知るための文化パークとして開園しました。軍の施設との関わりという面からも、戦前、戦後の台湾の歩みを知ることができます。
学びのポイント
日本軍の軍事施設跡の現在は?
日本軍の軍事施設跡があるのは、新北市眷村文化園区だけではありません。特攻隊が飛び立った飛行場、防空壕、トーチカ、旧宿舎群、倉庫などが台湾各地にあり、一部は新北市眷村文化園区と同様に文化パークになっています。基隆市では、期間限定の映画上映会に防空壕跡が使われたこともあります。また、台北市の有名な観光地、自由広場は、日本統治期の山砲隊、歩兵第一連隊の軍用地跡地でした。
移住してきた外省人一世の現在は?
戦後、中国大陸から移り住んだ人は、外省人と呼ばれてきました。外省人と一括りにされますが、その出身地は中国全土に及びます。また眷村の男性の中には台湾生まれの女性と結婚する人もいて、眷村は台湾はもちろん中国全土を含め様々な地方の文化が混じった場所でした。現在、外省人一世は子どもらと台湾に住んでいる人もいれば、すでに生まれ故郷の中国大陸へ戻った人もいます。台湾と中国との統一を望む人々が多いとされてきた外省人一世ですが、その一方で現在の台湾の繁栄に自分たちも貢献したと考え、台湾に愛着を持つ外省人一世も少なくありません。彼らの歩み抜きに台湾の歴史を語ることはできません。
山崎直也撮影
空襲は沖縄や日本本土だけだったのか?
上記のように、現在の新北市眷村文化園区は、第二次世界大戦中、防衛上重要な場所でした。アメリカの空襲に備えていたのです。現在の総統府(当時の台湾総督府)もアメリカ軍の空襲を受けていました。日本統治時代を体験した人の中には、日本が負けて驚いたという人もいますが、これで戦争が終わるとホッとしたという人も多くいます。また軍属等として日本軍と戦った台湾の人も多く、先住民からなる高砂義勇隊もありました。戦争中、日本は、台湾の人々も多く戦争に巻き込みました。
山崎直也撮影
さらに学びを深めよう
- 【事前学習】【事後学習】負の遺産を観光することをダークツーリズムと言います。どのようなものがあるかを調べてみましょう。
- 【現地体験学習】旧日本軍の施設がどう活用されているでしょうか。それをどう考えましたか?メンバーで議論してみましょう。
- 【現地体験学習】ここに暮らしていた人々の出身地は、山東省、湖北省、浙江省など多岐に及びます。食卓の展示を見て、それぞれの料理のルーツをたどってみましょう
参考資料
省籍問題や省籍矛盾は、若林正丈『台湾』(ちくま新書 2001年)の第三章「「中華民国」がやって来た」や阮美妹『漫画 台湾二二八事件』を読んでみましょう。二二八事件は本省人の外省人への抵抗運動とその弾圧です。外省人の今を考えるものにステファン・コルキュフ著『台湾外省人の現在』(風響社、2008年)や、専門書・佐藤幸人・沼崎一郎編『交錯する台湾社会』(アジア経済研究所、2011年)の第四章「台湾の本土化後にみる外省人意識」があります。ダークツーリズムを考える視点から、岡井祟之編『アーバンカルチャーズ』(晃洋書房、2019年)の第15章「都市に刻まれる負の歴史―台湾,韓国,沖縄から―」を読んでみてもいいでしょう。