國立台灣博物館 南門館 国立台湾博物館 南門館

台湾を支えた専売工場から博物館へ

国立台湾博物館提供

台湾博物館には、本館以外にも、古生物館、南門館、鉄道部園区と多様な展示スポットがあります。古生物館、南門館、鉄道部園区はいずれも台湾の経済を支えた場所を再利用したという共通点があります。南門館は、もともと日本統治時代の1899年に建てられ、1967年まで利用されていた「専売局」の工場があった場所にあります。現在では、跡地の一部を利用、工場として建てられた石造りやレンガ造りの重厚な建物を活用して、工場時代の歴史を中心とした展示、紹介を行っています。

学びのポイント

博物館の周囲は台湾政治行政の中心地

国立台湾博物館南門館がある南門は、清朝時代に台北の街を取り囲んでいた城壁の南側の城門、麗正門を指します。城壁は日本統治時代に撤去され、門の一部だけが残されました。南門と隣の小南門の周辺には、専売局と専売工場だけでなく、台湾総督府(現・総統府)、高等法院(現・司法院)、台北師範学校(現・台北市立大学)など政府の重要な機関が設置されていました。戦後も国立中正紀念堂や中央銀行、労働部が置かれ、いまも台湾政治行政の中心地になっています。

永吉美幸撮影

工場跡で台湾を支えた「専売」事業を学ぶ

このような台北、台湾の中心地に、なぜ工場が造られたのでしょうか。それは、台湾にとって「専売」がとても重要な事業だったためです。専売とは、国が特定の商品の生産や販売を独占することを指します。台湾も含め、昔の日本では、塩、酒、タバコ、樟脳、アヘン(麻薬)が専売品に指定され、政府が製造と販売を行っていました。当時は非常に貴重だったこれらの製品を国が管理することによって販売価格が安定し、また国にとって非常に重要な収入にもなりました。専売の収入が国家の財政を支えていたのです。
台湾では、とくに樟脳とアヘンの生産が重視されました。クスノキから生産される樟脳は、セルロイドや火薬、薬、香料、防虫剤、防臭剤など、さまざまなものに利用されました。たくさんのクスノキが育つ台湾では、樟脳はとても重要な製品でした。アヘンは、鎮痛剤、麻酔薬として使用されるほか、麻薬として快楽を得るために使用されることもありました。アヘン戦争の原因にもなったように、アヘンはかつて中国の社会的な問題でした。
台湾が清朝から日本に割譲されたのち、台湾総督府はアヘンを禁止することなく、特別な許可のもとで販売を続けることを認めました。当時の台湾の人々が禁止に反対したためでもありますが、台湾総督府にとってアヘンの販売がとても大きな収入をもたらしたためでもあります。つまり、日本統治時代の台湾にとって、樟脳やアヘンを中心とする専売制度は必要不可欠な制度で、南門工場はこれら商品を生産する非常に重要な工場でした。国立台湾博物館南門館では、台湾の専売制度や、樟脳、アヘンの製造について学ぶことができます。すぐ近くには、専売制度を監督した旧「専売局」(現・台湾タバコ酒株式会社(TTL))の庁舎があり、日本統治時代から現在まで利用されています。 永吉美幸撮影

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】【事後学習】各国の専売制度について調べてみましょう。
  2. 【事前学習】【事後学習】日本統治期のアヘン政策について調べてみましょう。
  3. 【現地体験学習】国立台湾博物館南門館の展示で、樟脳の製造過程、用途について理解しましょう。

参考資料

台湾における専売制度と財政に関わる問題については、専門書として平井廣一『日本植民地財政史研究』(ミネルヴァ書房、1997年)があります。また、台湾とアヘンの問題については、専門書として、劉明修『台湾統治と阿片問 題 』(山川出版社、1983年)があります。台湾のアヘン政策には後藤新平が深く関わっていますが、後藤新平に関しては新書の、北岡伸一『後藤新平:外交とヴィジョン』(中公新書、1988年)が入手しやすいでしょう。後藤新平はSF作家星新一の父、星一と関係が深いのですが、これについて星新一が記した『人民は弱し 官吏は強し』(新潮社、1978年)は父の視点から父の事業(麻酔薬の製造)と政府の関係を書いています。いずれもやや難しいですが、ぜひチャレンジしてみてください。また、映像を通して理解するには、SNET台湾チャンネル「おうちで楽しもう台湾の博物館」第1回 国立台湾博物館がおすすめです。


(松葉隼)

ウェブサイト
公式 https://www.ntm.gov.tw/exhibitionlist_185.html
台北旅遊網(台北市政府観光伝播局) https://www.travel.taipei/ja/attraction/details/2243
所在地
台北市中正区南昌路一段1号