博物館の外観(八尾祥平撮影)

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新北市坪林茶業博物館

新北市坪林茶業博物館

美しい茶畑に囲まれた博物館で学ぶ台湾茶の歴史

台湾のスーパーやコンビニでは、日本と同じように緑茶や烏龍茶などが売られていますが、日本と違う点は、砂糖入りのお茶も売られているところです。台湾で甘くないお茶を買いたいなら「無糖」と書かれているものを選ばなければいけないのですが、そんなことを知らない日本からの旅行客が甘い緑茶を買ってしまい、苦い思いで飲んだという失敗談は「台湾旅行あるある」のひとつでした。しかし、近年ではタピオカミルクティーのブームをきっかけに、春水堂やKOI Theなど、台湾のドリンクチェーンが日本へ進出し、緑茶や烏龍茶の甘いミルクティーなどが日本で暮らす人たちにも違和感なく、急速に浸透しつつあるのは隔世の感があります。
台湾では、烏龍茶や包種茶など、日本茶では製造されていない伝統的な種類のお茶が飲まれています。また、茶芸と呼ばれる、中華の伝統文化をベースにしつつ、台湾で独自の発展を遂げたお茶の文化もあります。台湾ではさまざまなお茶が日常的によく飲まれ、お茶の文化は社会に深く根をおろしています。台北市内から車で1時間弱のところにある新北市坪林は台湾北部におけるお茶、とりわけ包種茶の生産地として有名で、新北市坪林茶業博物館では台湾のお茶の歴史や文化を学ぶことができます。館内では、ITを利用して子どもも大人も楽しみながら台湾茶の歴史と文化を学べるようになっており、単に伝統文化を学ぶだけでなく、台湾が誇るITの利用に接する機会にもなっています。

学びのポイント

台湾における茶業

台湾では17世紀には野生のお茶の木が自生しており、18世紀になると福建省から台湾に渡った人びとがお茶の木を栽培して、お茶を生産するようになったという記録が残されています。もともと、台湾の亜熱帯気候はお茶の生産に適しており、さらに土壌が少しやせた酸性であることや、他の作物の栽培ができない傾斜地でも育ち、山地でも栽培できることなど、お茶は台湾で生産しやすい作物でした。
歴史上、台湾ではお茶の大半は他の地域へ売ることを前提として生産されていました。清代末期の1858年に締結された天津条約にもとづき、台湾が貿易港として開かれる以前は、福建省やマカオとの交易で扱われ、開港後は欧米にも輸出されるようになりました。開港期のお茶の輸出額は総輸出額の50%以上を占めるほどでした。お茶の栽培は年を追うごとにさかんになり、1892年のお茶の生産量は1866年の100倍にまで増加しました。日本統治時代以前は閩南語を話す人びとのネットワーク内でしか交易できませんでしたが、日本統治時代になると、日本の船会社の航路拡充に伴い、お茶の販路が拡大し、タイへ包種茶を輸出できるようになるといった変化もありました。同じ茶葉が、加工の仕方の違いによって緑茶や烏龍茶、紅茶と異なる風味のお茶になるため、台湾総督府殖産局は産業振興策の一環として、インドのアッサム茶の茶樹を台湾に導入し、紅茶の生産と輸出にも力を入れました。
戦後もしばらくはお茶を海外へ輸出する貿易構造に変化はありませんでしたが、1970年前後の高度経済成長期になると、農村での働き手の不足、人件費の高騰を背景として国際市場での競争力低下が顕著となり、お茶の生産量は次第に減少しました。こうしたなか、輸出頼みから内需型への転換や人件費の安い海外への生産拠点の移転などが図られました。さらにお茶の付加価値を高めるために台湾独自の茶芸と結びつきました。現在の台湾でのお茶の消費量は1980年代の約5倍に増えています。タピオカミルクティーが春水堂で「発明」された時期も、こうした台湾社会におけるお茶の位置づけが変化する時期と重なっています。新北市坪林茶業博物館の設立も、台湾社会と台湾茶の文化の変化のなかに位置づけることができそうです。

博物館内部の展示(八尾祥平撮影)

台湾茶のロジスティクス(流通)

かつての台湾では、商品作物の主要な流通網は水路でした。お茶も山地ならばどこでも栽培していたわけではなく、輸送に便利な河川沿いでの生産が中心でした。坪林も北勢渓という河川沿いの地域にあります。ここで生産されたお茶は他の河川が淡水河へと合流する大稲埕で集約・加工され、その後港に移されて、海外へと輸出されました。
現在の北勢渓ではかつてのような水路による輸送は行われてはいません。しかし、SUP(スタンドアップパドルボード)などのアウトドア活動を楽しむ人びとが訪れ、近隣にはキャンプ場があり、台北市の近くに位置しながら非常に豊かな自然が楽しめます。さらに、博物館の付近にある坪林老街では伝統的な街並みが見られるだけでなく、住民が軒先でお茶を飲みながらおしゃべりをして過ごすというかつてののんびりとした台湾の空気も感じられます。博物館だけでなく、坪林老街にも足を運び、その雰囲気を味わうことを強くお勧めします。

坪林のお茶畑(八尾祥平撮影)

北勢渓(八尾祥平撮影)

坪林老街(八尾祥平撮影)

茶郊媽祖とは?

新北市坪林茶業博物館の裏手には、茶芸と結びついた美しい庭園があります。また、坪林生態園区では茶郊媽祖が祀られています。媽祖とは、中国・台湾・東南アジアの各地で信仰されている航海の安全を司る女神です。台湾で茶業が始まったころ、茶葉を摘んだり、乾燥させたりするための人手が足りず、福建省からの出稼ぎ労働者を雇い入れていました。彼らは春にやってきて、契約期間が終わる秋になると福建省へと帰っていきました。このため、茶業を営む人びと(彼らのことを茶郊と呼びます)にとって航海の安全は大きな関心事でした。こうした背景から、茶業を営む人びとたちは「茶郊媽祖」を祀りました。現在、福建省と台湾との行き来は勿論ないものの、「茶郊媽祖」の本尊が台北市茶商業同業公会で祀られ、毎年旧暦9月22日に祭礼が行われています。坪林の茶郊媽祖像はそこから分霊されたものです。媽祖信仰は観音信仰ともセットになっており、坪林の観音台では観音菩薩が祀られています。媽祖信仰は台湾茶業の歴史にも深く結びついており、媽祖を知ることは単に宗教を学ぶことにとどまらず、台湾社会と文化を学ぶことにもつながります。
さらに学びを深めよう
  • 【事前学習】【事後学習】台湾では多種多様な烏龍茶以外にどのようなお茶が飲まれているのか調べてみましょう。
  • 【事前学習】【事後学習】開港期の台湾では、お茶のほかにどのような商品が海外へ輸出されていたか調べてみましょう。
  • 【事前学習】【事後学習】台湾の茶芸とは具体的にはどのような文化なのか調べてみましょう
  • 【現地体験学習】 博物館の展示からお茶の歴史を学んだうえで、茶郊媽祖・観音台・坪林老街をフィールドワークしてみましょう。また、茶芸なども実際に体験してみましょう。
参考資料
商品としての茶の歴史を広い視野でとらえる古典的名著として角山栄『茶の世界史』(中公新書、1980初版、2017改版)があります。包種茶を中心に日本統治時代の台湾の茶産業を論じたものとして、河原林直人『近代アジアと台湾 台湾茶業の歴史的展開』(世界思想社、2003)が参考になります。台湾茶業の歴史と文化については、「茶業入門篇日本語」でさらに詳しく学ぶことができます。戦後の台湾の茶商を題材にしたドラマ『茶金 Gold Leaf』はお茶から台湾の歴史・社会・文化を映像で学べる優れたコンテンツです

(八尾祥平)

公式ウェブサイト
公式HP https://jp.tea.ntpc.gov.tw/
交通部観光署https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003091&id=5640
所在地
新北市坪林区水徳里水聳淒坑 19-1 号