華新街外観(木村自提供)

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華新街

華新街

台北MRTで行けるミャンマー街で台湾と華僑の関係史を知ろう

台北MRTの中和新蘆線の終点、南勢角駅を出て道なりに西へ10分ほど行くと、「南洋観光美食街」の看板が見えてきます。そこが華新街です。一見、台湾の他の通りと何ら変わりませんが、通り沿いの店の看板をよく見ると、丸を連ねたようなビルマ文字があちこちに書かれていることに気づきます。華新街がある新北市の中和区と永和区には、主に1970年以降多くの華僑がミャンマーから移住しました。その後華新街には、徐々にミャンマーからの華僑向けの店が増え、彼らを象徴する場所として発展しました。そのため華新街は別名「緬甸街(ミャンマー街)」とも呼ばれています。中和区・永和区に住むミャンマー華僑のなかには、ミャンマーの上座部仏教を信仰している人も多く、華新街にも上座部仏教の礼拝施設があります。新北市三峡区にはミャンマーの上座部仏教寺院である迦葉禅寺もあります。

学びのポイント

なぜ台湾にミャンマー街があるのでしょうか

華新街は「緬甸街(ミャンマー街)」とも呼ばれており、そこには、ミャンマー華僑が歩んだ歴史と中華民国政府の華僑政策とが反映されています。中国と陸続きのミャンマーのヤンゴンを中心とした南部には福建系や広東系の人々が、マンダレーを中心とした北部には雲南系の人々が多く住んでいます。1962年にミャンマー(当時はビルマ)で軍事政権が誕生し、強権的な国家運営、華僑学校の停止、紙幣の廃止など華僑の生活を脅かす政策が実施されると、多くの華僑がミャンマーを離れます。他方、台湾では国民党政権の下、華僑の「帰国」を促すため、華僑学生を台湾に迎えて学校に通わせ、そのまま中華民国国籍と戸籍を付与していました。こうしたことから、1970年代以降に台湾に定住したミャンマー華僑たちが家族を呼び寄せ、1980年代頃には、華新街を中心とした地域に、ミャンマー華僑が集まるようになったと言われています。

「南洋観光美食街」の看板(木村自提供)

上座部仏教の礼拝施設(木村自提供)

華新街にはどのようなお店があるのでしょうか。

一口にミャンマー華僑と言っても、広東系、福建系、雲南系、さらには中国と東南アジアを股にかけて居住する少数民族やイスラーム教徒などもいます。そうした多様性を背景に、華新街にも、広東系や雲南系の食堂、イスラーム教徒向けのハラール食堂、それにカチン族(ジンポー族)など、ミャンマー少数民族の料理店が軒を連ねています。ミャンマーの華僑は、福建系と広東系が多く、主にヤンゴンなどの都市部や南部の稲作地帯に暮らしています。また、ミャンマーと国境を接している中国の雲南省からも、陸路ミャンマーに移住してきた人々がおります。彼らは、ミャンマーの華僑人口全体から見れば少数ですが、国共内戦の終結に伴って国境を越えた国民党軍人やその家族を含め、中華民国に愛着を有していた人が多く、そのため、台湾に移住した人が少なくありません。

ミャンマー料理店(ビルマ語でミャンマー料理と書かれている)(木村自提供)

ミャンマー雑貨店のなか(木村自提供)

 
さらに学びを深めよう
  • 1.【事前学習】戦後の台湾が、海外の華僑・華人たちとどのような関係を築いていたのか、調べてみましょう。
  • 2.【現地体験学習】華新街の雑貨屋で販売されている商品にはどのようなものがあるのか、またその産地はどこか調べてみましょう。
  • 3.【現地体験学習】ミャンマー料理にはどのようなものがあるのか、レストランに入って食べてみましょう。
参考資料
台湾に移住してきた東南アジアの人びとの概要については、横田祥子「第32章 新住民――中国や東南アジアからやってきた新しい台湾人」『台湾を知るための72章【第2版】』(明石書店、2022年)。華新街の概要を紹介するものとして、 蘇俐穎著、松本幸子訳「台北の隣にあるミャンマー — 新北市の華新街」(『台湾光華雑誌』、2021年8月)。
さらに専門的に知識を深めたい人には、華新街そのものについて書かれたものではありませんが、とくにミャンマーから台湾に移住した中国系のイスラーム教徒の研究として、次のものがあります。 木村自『雲南ムスリム・ディアスポラの民族誌』(風響社、2016年)。

(木村自)

ウェブサイト
観光旅遊網: https://newtaipei.travel/ja/Attractions/Detail/111962(新北市政府観光旅遊局)
所在地
新北市中和区華新街
一般の道なので、予約などは全く必要ありません。ただし、夕方6時以降は、空いているお店が少なくなるので、お昼に行くのがよいでしょう。