旅人 / PIXTA(ピクスタ)
士林官邸
士林官邸
蔣介石総統が宋美齢夫人とともに後半生を過ごした官邸
中華民国総統の地位にあった蔣介石が、1950年から75年に亡くなるまでの約25年間、夫人の宋美齢とともに暮らした邸宅です。蔣の存命中は海外の要人の接待等にも使われました。本館はもともとは1949年に台湾省政府が建造した海外からの賓客のための宿泊施設で、これに増改築を加えて官邸としました。1996年に一般公開が始まり、2006年から本館の修復が行われ、2009年に完了しました。本館で蔣夫妻の生活の様子が展示されているほか、敷地内には礼拝堂や中国式・西洋式の庭園、自然観察のできる生態園もあり、自然と人文の融合した公園として親しまれています。
学びのポイント
官邸が公園になったことは何を意味しているか
士林官邸は、蔣介石の存命中はもちろん、その死後に宋美齢がアメリカに居を移した後も、一般人は立ち入ることができませんでした。1970年代以降、台湾では国民党に対する反発が強まり、国民党側のそれへの対応として、蔣経国総統時代、李登輝総統時代を通じて政治体制の民主化が進められました。1990年代にもなお宋美齢が独占していた官邸を、当時の台北市が「みんなのもの」として一般公開したことには、国民党の古い特権を否定して民意に応える意味が込められていたと考えられます。
蔣介石の官邸はいつ一般公開されるようになったのか
蔣介石の没後、宋美齢はアメリカに生活拠点を移してしまい、まれに台湾に戻った時にしか士林官邸を利用していませんでした。1996年、台北市はこれを接収し、一般公開しました。その当時の市長は民主進歩党の陳水扁でした。民主進歩党は、蔣介石や息子の蔣経国ら中国国民党による一党支配に反対する政治運動の中から1986年に生まれた政党です。
現在の総統の官邸はどこか
台湾では、中華民国総統が執務を行う場所は「総統府」で、生活する場所が「官邸」です。そのため、台湾の「官邸」は日本の「首相公邸」に相当します。しかし、その後の総統は士林官邸に住むことはありませんでした。1996年、台湾で最初の直接選挙で総統に当選した李登輝は、士林官邸ではなく、自身がそれまで副総統官邸として使っていた、総統府に近い重慶南路二段に位置する住居に住み続け、そこを実質上の総統官邸としました。これ以降総統に就任した陳水扁、馬英九、蔡英文は、いずれも元副総統官邸を総統官邸としています。
さらに学びを深めよう
- 【事前学習】蔣介石は台湾においてどのような政治を行ったのか調べましょう。
- 【現地学習】蔣介石や宋美齢は西洋文化に対してどのような考えを持っていたのか、官邸の雰囲気を通じて考えましょう。
- 【事後学習】 現在の台湾では蔣介石に対する評価が大きく割れているが、それはなぜなのか考えましょう。
参考資料
蔣介石時代の台湾の政治については、若林正丈『台湾――変容し躊躇するアイデンティティ』(ちくま新書、2001年)や伊藤潔『台湾――四百年の歴史と展望』(中公新書、1993年)、戴國煇『台湾――人間・歴史・心性』(岩波新書、1988年)等が参考になるでしょう。より詳しく国民党の支配体制について学びたい場合は、松田康博『台湾における一党独裁体制の成立』(慶應義塾大学出版会、2006年)があります。台湾で蔣介石時代を評価する際の難しさについては、胎中千鶴『あなたとともに知る台湾――近現代の歴史と社会』(清水書院、2019年)が参考になると思います。
- ウェブサイト
-
公式https://www.culture.gov.taipei/frontsite/shilin/index.jsp?ccms_cs=1
(中国語)
交通部観光局https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003090&id=208
台北旅遊網(台北市政府観光伝播局)https://www.travel.taipei/ja/attraction/details/746
- 所在地
- 台北市士林区福林路60号