剝皮寮歷史街區 剥皮寮歴史街区

映画の撮影スポットから台北発祥の歴史を知る

整備された清朝時代からの街並み、上水流久彦撮影

現在の台北市萬華区は、清朝時代、艋舺(バンカ)と呼ばれており、その南西部一帯は、当時「剝皮寮(ポーピリャオ)」という地名でした。艋舺は清朝時代に台北で最初の貿易港として栄え、剝皮寮で木材の皮を剥いでいたことから、この名前がつきました。艋舺は台北で最初に開発された場所のため、台北発祥の地とされています。清朝時代からの通りがあり、日本統治期の建物が一部残っていたことから、2009年に整備され、萬華の歴史を伝えるとともに、文化活動や地域活動を行うスポットになりました。また、台湾で大ヒットした映画『艋舺(MONGA)』(2010年公開 邦訳『モンガに散る』)の撮影がここで行われたことから、多くの観光客が訪れるようになりました。

学びのポイント

艋舺の栄枯盛衰の歴史とは?

艋舺は、中国大陸からの交易船が来る港として、台北で最初に発展しました。しかし、清朝末期には港付近の川に砂が溜まり、船が来ることができなくなったため、艋舺の下流にある大稲埕(現在の大同区)へと中心が移ります。日本統治時代になると「萬華(万華)」と表記されるようになり、開発の中心は現在の総統府がある地域の東側へと移りました。さらに第二次世界大戦後、開発はさらに東へと移り、2000年代なると現在の台北市役所がある付近が開発され、萬華は台北市の発展から取り残された場所と考えられるようになりました。剝皮寮歷史街区は、艋舺が台北発祥の地だったことがわかる地域なのです。。

艋舺の歴史の見直しはなぜ進んだのか?

1990年代から民主化が進み、台湾は台湾だという意識が高まります。そこで、台湾では自分たちの歴史を見直そう、大事にしようという動きが広がりました。剝皮寮歷史街区は、台湾の歴史を重視する流れの中で見直されたスポットなのです。

台湾に地域社会はあるのか?

日本には町内会などがあり、一定の地域に住む人々が同じ地区に住む住人として活動します。台湾にも地域社会があるのかという問題が研究されてきました。最近は、「社区」(コミュニティ)という考えが台湾に広がっています。そして、「社区」で住民たちが地域の文化を継承したり、その振興を図ったりしています。剝皮寮が復元された背景にも「萬華」を自分たちのコミュニティとして認識するという考えがあるのです。

洪郁如撮影

さらに学びを深めよう

  1. 【事前学習】【事後学習】萬華を舞台にしたニウ・チェンザー監督作品『艋舺(モンガに散る)』を鑑賞してみましょう。
  2. 【現地体験学習】剝皮寮歴史街区は、自分たちの地域をどのようにしたいと思っていると思いますか。現地を訪れてその思いを自分なりに理解してみましょう。

参考資料

コミュニティについては、赤松美和子・若松大祐編『台湾を知るための60章』(明石書店、2016年)の第27章「人間関係とコミュニティ」や、陳亮全台湾大学教授の講演記録である「台湾の参加型まちづくり「社区営造」」が参考になります。本土化については、若林正丈『台湾』(ちくま新書 2001年)の第六章「李登輝の登場と「憲政改革」」、第七章「台湾ナショナリズムとエスノポリティクス」を読んでみましょう。台湾映画入門としては、若林正丈編『もっと知りたい台湾 第二版』の「映画」や『台湾を知るための60章』の第41章「映画」があります。台北の歴史については、中央研究院デジタル文化センター『台北歴史地図散歩』(ホビージャパン、2019年)を参考にしましょう。

(上水流久彦)

ウェブサイト
公式 https://www.bopiliao.taipei 交通部観光局 https://jp.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0003090&id=A12-00055 台北旅遊網(台北市政府観光伝播局) https://www.travel.taipei/ja/attraction/details/799
所在地
台北市萬華区康定路173巷